第1話「大どろぼうロビンと青い髪の少女 前編」




 『青空』が広がっている。

 巨大生物マルアハが星に降り、120年が過ぎた冬だった。
 星における人類の生存可能領域はその8割を失ったままで、人口は4億を限度とし、それ以上を船に乗せることはできない。
 世界は少しずつ、そして確実に終末へ向かっている。
 
『おはようございます。本日、エンド・グラウンド第17地区は快晴。ポカポカ陽気の平和な1日になるでしょう』

 凹んだラジオが予報を告げる。
 オレンジの獣の耳がぴこ、と動いた。

 錆びたバラック屋根の上で、子どもは空を眺めていた。

 頭の上に広がるあれは青空ではなかった。
 白くくすんだ、人類を閉じ込める檻。あれを人々は『フェイク・アス』と言う。
 今を生きる人々のほとんどは、檻の外の空を知らない。

『連日に引き続き、マルアハ始動の予報は出ておりません。空気中の魔力濃度は前日に比べ0.2ポイント減少しており——』

 戯れに手を伸ばす。ぶかぶかのジャンパーから伸びる、指抜きグローブの小さな手。

 指の隙間から『マルアハ』が見えた。混じりけのない白色。巨大な体躯。
 先史時代の呪術的な仮面に似た大きな面。
 星の終わりを告げる超厄災生物。

 頭上に光輪が浮いている。それは濃い青色をしている。
 あれが、史上最も多くの人類を殺戮した兵器だった。

「……」
 子どもはそれを眺めている。

 昼の空にあっても、存在感を放つ青色。太陽の光と己の魔力で、不思議な輝きを散らす王冠。 
 あれは何に例えられるのだろう。例えられるものがあるのだろうか?

 いつか盗み出した、あの青色の宝石たちを思い出す。
 高名な芸術家が生み出したペンダント、古代の遺跡から発掘された指輪、神に捧げるべく生み出された美しき偶像……。そのどれもが当てはまらない。
 未知の輝き。

「きれいだなあ」

 ロビンは、そう呟いた。

「アニキーーっ!!アニキ!アニキったらッ!」
 呼び声にロビンは上半身を起こした。
 耳がキーンとするのを無視して、屋根から見下ろせば、額に角を生やした子どもが両の拳を突き上げている。

「またマルアハ見てたのかよっ!」
「なかなか飽きねえんだ。きれいでさ」
「意味わかんね!」
 弟分の子どもはひょいひょいと建物を登りバラック屋根の上、ドスンと"アニキ"の隣に腰を下ろした。

「ヨーマン、あれ"盗める"と思うか?」
 ロビンは空の向こうを指差す。巨像の頭、光の輪っか。
「ムリムリムリムリ」
 ヨーマンは即座に否定した。

「おれにはこの『黄金の手』があるんだぞ!」
 ロビンは自らの右手を振ってみせた。
 ヨーマンは一瞬黙った。アニキの『黄金の手』は、それはもうすごい代物だからだ。
「いやっそれでもムリっ!!」

「バーカ、おれは大どろぼうだぞ!」

 バラックの上に立ち上がれば、長い赤色のスカーフがはためいた。
「あれくらいのお宝、ぱっと盗んでやるさ!」

 ヨーマンは息をいっぱいに吸い込んだ。
「お お ば か ど ろ ぼ う ーーーー!!!!」
「うるせー!!!」
 ロビンは四つの耳を塞いだ。

 二人は大声を出したので、一度息を整えた。
 喉の調子を整えてから言った。
「あんなのお宝じゃないぞ。アニキは頭がおかしいぜ」
「マルイチ、見るからに面白い。マルニ、だれも盗ったことがない。マルサン、ワクワクする。だからつまり、お宝じゃねえか」

 ヨーマンは息をいっぱいに吸い込んだ。
 ロビンは咄嗟に少年の口をふさいだ。

「モガモガモガ!!!」
「意味わかんねー?そういうもんなの!それに、あんなでっかいお宝盗んでやったら、おれの名前は世界に響くんだ!言ってみろ、おれの名前を!」
 ロビンは塞いでいた手を放してやった。 

「2代目大どろぼう~~」
 ヨーマンが生意気を言ったので、ロビンは額にデコピンを食らわせた。

「イテッ!!」
「2代目って言うなっ。大どろぼうの名前はおれが盗んだんだ!」
「初代ディエゴも呆れんぞ~」
「ふん。どうせ、星の底で大笑いしてらあ」
 高層ビルを優に超えるマルアハの体が、街へ大きな影を落としていた。

『"緋色の歌姫"は午後、マルアハ観測所へ訪れ、その後中心広場でコンサートを行う予定です。つきまして、最初のナンバーは彼女の最新アルバム、こちらから――』

「そら、仕事だ仕事」
 カチャンと電源OFFのボタンを押す。
 ロビンは黙りこくったラジオを掴んで、重みのない動作で屋根の上から飛び降りた。

     ◇

「ロビン、ホントに歌姫様のネックレス盗むの?」

 縮こまっている声色が、ロビンの後をついていく。
「もちろん!」
「ついてくんなよ、マリアン!足手まといだっ」
 あらゆる規格の建物たちが、でこぼこの日陰を生み出している。

 エンド・グラウンドの路地はどこも雑然としている。こんな裏通りだって、人でぎゅうぎゅう詰めだった。

 人々は、マルアハに包囲された領域で生きている。
 一番内側が中央――セント・グランドと呼ばれるエリア。次に内側に近いのは、シティ・メトリオ。
 そして、一番外側に位置するのがこのエンド・グラウンド。
 人々は条件によって居住地域を定められている。主だってはその種族の区分によって。

 ここ、エンド・グラウンドは終末の最前線だった。最も、マルアハに近い居住区域。
 マルアハは一定周期で活動と休眠を繰り返す。今はまだ眠っている。
 彼らが目を覚ませば、この街は消える定めにある。

「お姫さまなんでしょ? 捕まったら殺されちゃうよ」

 マリアンと呼ばれる少女には、ロビンと似た獣耳が付いている。
 白色の耳を下げて、少女は不安そうにしていた。彼女は感覚が鋭く、人一倍臆病だった。

「歌姫なんてただの金持ちだよ!んな権力持っちゃいないんだ」
 ロビンはずんずんと歩きながら訂正する。

 マリアンはちょこちょことロビンたちの後ろをついてくる。
「でも、さっきおばさんが言ってたよ。たくさんスーツの人が『中央』から来てるって。前に来た、偉い人の護衛みたい。あのとき、偉い人を殺そうとしたおじさんは、スーツの人に殺されちゃった……」
「バーカ、マリアン。そいつがスットロいのが悪いんだよっ。俺たちとアニキがんなドジ踏むわけねー」
「でも、もし捕まったら……」

「捕まんねえさ!」
 ロビンはくるんと振り返った。
 立ち止まって、しょげかえった顔をした少女の頭を撫でる。柔らかな癖っ毛が跳ねた。
 昔からそうだった。臆病なマリアンをこうやって落ち着ける。

 それでも、今日はこれで収まらない。マリアンの表情は変わらず、ついには涙を滲ませた。
「なんだか、何かが起こりそうで怖いの。ロビン、いなくならないでね」

「なんだよ、お前どうしたんだよっ!」
 ヨーマンはぎょっとして慌てて傍に寄った。

 ロビンも目を丸くした。そして、鼻を啜りだしたマリアンを道の端に連れていく。
 落書きをされたシャッターの前で、三人合わせてしゃがみ込んだ。道の隅でこそこそ話をしている子どものようだった。

「おれがそう簡単に死ぬわけねえだろ、な?」
「……ほんとに?」
「ほんとだよ!な、ヨーマン」
「うんうん。だってよ、アニキにはあの『でっかい手』もあるんだぜ。どんな野郎も敵じゃないって!」
「どんな人でも……?」
「そうそう!な?アニキ!な!」
 ヨーマンは困り眉で同意をねだった。

「ああ、だっておれは大どろぼうだ。どんなもんでも盗んでみせて、ちゃーんと生きて帰ってくるんだ」
 ロビンは跳ねるように立ち上がると、少女を軽く抱きしめた。
 その温かな温度には、固まった心がほぐされる。マリアンはそのまま頭を押し付けた。
「いつもみたいに、ちゃんと帰ってきてね……」
「おう!」

 昼下がりの陽光は強い。
 日陰には穏やかな冷気が漂っていて、避難場所にはふさわしい。

「じゃ、行ってくるからな?よーく見てろよ!」
 ロビンはからっと晴れた笑顔を少女に向け手を振った。そのまま、通りの出口に走っていく。
「さっさと泣きべそ拭けよっ!」
 ヨーマンはこう言い捨てて、兄貴分の後ろを追いかけていった。

 二人は中心広場へ向かった。このまままっすぐ突き進んでいけば辿り着く。
 狙うは"緋色の歌姫"の《首飾り》
 大どろぼうはごちゃごちゃの街を駆けていく。人ごみに紛れて、見えなくなった。

 マリアンは二人を見送り、大きく息を吐いた。
「っ」

 誰かに見られている気がして、びくりと後ろを振り向いた。
 誰もいない。

 胸に手を置いた。ここを去ろうと思った。一人は怖い。
 仲良しのおばさんの家へ行って、中心広場を見守ろうと思う。
 とぼとぼと歩き出して、建物に挟まれた、狭い青空を見上げた。

(あれよりも、もっと濃い青色の……)
 なにかがいた気がする。

     ◇

 中心広場は人でぎゅうぎゅう詰めだった。

 広場に接する建物の屋内や、屋上にも人々が集まっている。
 ただでさえ人口が過密しているエンド・グラウンドだ、人に押しつぶされて圧死しかねないありさまである。広場は肉詰めのソーセージさながらだ。

 それほどまでに皆、"緋色の歌姫"を見たがった。
 今や、世界の内側から外側まで平等に、彼女の歌声は轟く。
 野性味のあるワイルドな歌唱、かと思えば少女を思わせる繊細なボイス。

 彼女は緑色の目をしている。それはエデナ民族を表す。
 エデナ民族はふつう、エンド・グラウンドから出られない。中央で暮らす事はできない。

 だが、彼女は中央に選ばれた。
 特出する才能、中央にとって利益があると見做された者は、例外的に安全地域へのチケットを渡される。
 エンド・グラウンドの人々は彼女を羨望の目で、憧れの目で、嫉妬の目で、怒りの目で、諦めの目で見ている。それでも、誰もが彼女を見てやろうと決めて、ここに集っている。

「うう、くせえ……」
 人の波を掻き分け、ロビンとヨーマンは前へ前へと進む。
 中年の男の足を思わず踏み、怒号が飛ぶ。適当にあしらい進み、肉に潰されそうになりながらも、ようやっと中心広場を囲む建物の傍へたどり着いた。

 大人の背丈よりも高い木箱が積まれている。
 ロビンは熱気ににじんだ汗をぬぐってから、木箱の側面に足をかけ思い切り飛び乗った。
 ヨーマンも続いて乗っかると、立った二人で木箱の上はぎゅうぎゅうだ。
 目を凝らす。

 中心広場へ向かう道には粗末ながらも赤い布が敷かれている。
 それに沿って屈強な黒いスーツの男たちが立ち並び、壁を作っていた。
 歌姫の姿は見当たらない。彼女のための花道は街路の途中で途切れている。

 一通り、広場を見渡す。
 現状を踏まえて、用意していたいくつかの逃走ルートを目視し確認をする。
 状況の更新を待つ。

(上手くいくかな……)
 どくどくと、ヨーマンは自らの大きな鼓動を感じていた。口から心臓を吐き出しそうだ。
 さっきのマリアンの話が今になって体を蝕んでいる。ドジってしまえば殺される……。

 ちらりとロビンを見る。
 その横顔は陽光に照らされ輝いて、大きな瞳に光がともっている。
 ヨーマンは慌てて視線を戻す。

「怖いかあ? 逃げてもいいんだぜ」
 ロビンは軽口を叩いた。
「今更逃げねえよ! てか、アニキも大丈夫かよ。本当に盗めんのぉ?」
 ヨーマンは自分の緊張に見ないふりをした。ロビンは口角をにっと上げる。
「もちろん!」
 ロビンはヨーマンの方へ顔を向けた。そのまま彼の顔をむぎゅっと両手で挟む。

「おれは欲しいモンがゼッタイ欲しい!だから、ゼッタイに手に入れる」
 前髪の隙間に見える、黄金の目がヨーマンを逃がさない。
 何に縛られることもない、迷うこともない。ただ、自らの欲が赴くままに、望むものをつかみ取る。
 黄金の目の中に、木の洞のような黒い瞳孔が見える。底知れない欲が潜む大穴だ。

 ヨーマンは顔を両手でサンドされたまま、垂れ下がった眉でロビンに聞いた。
「……手に入れたら、自分が死ぬお宝だとしても?」
「そりゃ、大どろぼうにとっちゃいい死に方だろ」
 笑って言った。そして、マリアンには言えないけどさ。と付け加えた。

 そのままロビンはヨーマンの頬を解放してやり、目線を広場の先へ戻した。
 ヨーマンはそんな横顔を不満げに見つめた。
 アニキは悪魔かお宝に魂を乗っ取られたに違いない。最初は洒落で言ってたことが、案外本当なのかもしれないと、最近はとくに思う。

 問答をよそにエンジン音。
「!」
 街路を走る黒い車が花道の前で止まった。

「来た! 来たぜっアニキ!」
 ヨーマンの指さす先に女がいた。

 急ごしらえの花道の真ん中、夕暮れの海を閉じ込めた、ウェーブの長い髪がなびいている。
 彼女は裸足で、赤色の絨毯を歩く。
 主役の赤を引き立てるような黒のドレス、自信に満ち溢れた顔つきの女がエンド・グラウンドの皆へ手を振っている。
 あれこそ、"緋色の歌姫"だ。

 開放的な胸元を大粒の赤い宝石が飾っている。
 この首飾りを《アレハンドリアの遺産》と言った。
 マルアハの包囲網の外に位置する、かつて人々が生きていた土地。極彩都市アレハンドリアで作られた秘宝。
 博物館に展示されていてもおかしくない、歴史を持つお宝だ。
 彼女という玉座に座し、光を食らう赤色の王。

「いいねえ、実物は違えや」
 ロビンは大きな目を丸くしてそれを見つめる。
 次第に近づく宝石の輝きがロビンの瞳の中へ移っていく。にやりと笑った。

「ヨーマン、煙玉は」
 ロビンは用意しておいたゴーグルを装着する。
 ヨーマンだってもう引き返せない。頭を切り替える。
「広場囲んで6人が持ってる!」
 ロビン率いるちびっ子盗賊団だ。
「合図のタイミングは」
「最初の一曲が始まる前」
「よし」
 ヨーマンは鼻から大きく息を吸い、口から吐きだした。それは、舞台に立つ前の役者さながらに。

 "緋色の歌姫"が中央、急ごしらえの舞台の前へ辿り着いた。
 舞台へ続く階段を登る。
 何百何千の老若男女の歓迎と罵声が包み込むが、まるで空間が隔たって聞こえないように、彼女が動揺することはない。
 舞台にその赤髪が現れる。観客へ手を振り、その存在のきらめきを振りまいた。

 マリアンは、中心広場に接しているアパートの二階から、この様子を眺めている。
(ロビン、ヨーマン……)

 歌姫はマイクの位置を調整し、声を乗せる。
 多少収まったものの残る観衆のどよめきの中、挨拶の言葉を紡いで行く。

「よっす!お前ら元気か?今から歌うけど、ぶっ倒れても助けねえぞ!」

 陽光に胸元の宝石が瞬いた。
 お宝に照準を合わせたその目が、乱反射した欲にギラギラと輝いた。

 ロビンとヨーマンはじっと息を潜める。
 獲物へ狙いを定め、時を待った。
 エンド・グラウンドへの人々への激励の言葉、そして、彼女の舞台が始まろうとする。
 同時に、大どろぼうの仕事も。

「そんじゃ、一曲目行く――」
 ヨーマンの大声が爆発する。
「“今 だ ー ー ー っ !!!!!”」

 皆は耳を塞いだ。びりびりと空気が震える。
 マイクがあるわけじゃない。ヨーマンの大声は波紋の衝撃破じみて放たれた。

 白い玉が六つ、空中へ放り投げられた。
 人々の視線がそれに集まる。あれはなんだ? 演出だろうか? 
 ボン!ボン!ボボン!と小気味のいい爆発音が広場に鳴り響く。
「なんだぁ!?」「歌姫は」「もしかして」

「あいつ!ロビンだっ!!ロビンがまたやったっ!!」
 街の人達は腑に落ちた。ああ、あの悪ガキがまたやりやがったんだ。