第4話「昼食は亀裂混じりの終末に」

 一晩経ち、人々は安寧の朝を迎えた。

 この地区における唯一の宿泊施設。その壁面は年季が染み入りくすんでいる。汚れ曇ったガラスの回転扉のそばで、ロビンはしゃがみ込み、二人を待っていた。この逆転劇の立役者は意識を失った後、ジウ達により寝床へ運ばれそのままぐっすりと眠ってしまった。なんとか肉体は回復している。朝に体を拭き、身も心もすっきりだ。
 昨日のできごとは夢のように思えてしまう。しかし、頭上に広がる青天は嘘をつかない。あの白の巨体はどこにも見えない。
 青の心臓は盗った。自らの内に、ある。

 ぐるりとドアが回転する。見上げた先で紫髪が揺れている。
「よう、よく眠れたかい」
 ヒガンは思わぬところから投げられた声にびくりとする。しかし、ロビンを捉え、そちらへほのかに笑んだ。
「……いいえ」
「だろうなあ! あんなもん見たあとじゃあな」
 ロビンはぐいと立ち上がる。

「おはよう」
 ドアが鳴く。ジウだ。既に煙草を咥えている。
「お、あんなもんの登場だ」
「何の話だ」
 ジウは何事も無かったように歩いている。つい昨日には体が上と下に別れていたというのに、ダメージを全く感じない。
 ロビンは彼の腹を突く。不動である。
「腹どうなってんだ?」
「普通」
 ぺろんと灰色のシャツをめくる。そこにはただただ、男の腹があった。ほんのりと脂肪がついている。傷も残っていない
 ヒガンの顔が少しばかり赤らんでいる。少しだけ彼の腹を確認して、すぐに目線を逸らす。

「ジウさん、あの、昨日は本当にありがとうございました」
 ヒガンは頭を下げる。感謝と謝罪の気持ちが混じった礼だ。
「大丈夫だよ。まあ、あんたが無事でよかった」
 彼にとっては当たり前に出てくる言葉のようだ。ヒガンの顔はさらに赤くなる。罪な野郎だ、とロビンはニマニマとその様を眺めつつ、頃合と口を開く。

「んでー、お二人さんは飯食った?」
「いいや」
「ま、まだです。その、朝食付きと聞いたのですが、ホテルの方がいらっしゃらなくて」
 太陽は既に真上に来ていた。朝食というより、昼食の時間だ。
「みんな今日ばっかはバカみてえに浮かれてる。もっと中心に行けばすごいぜ」
 このホテルはこの区域の中心から少々離れた場所に位置している。されど、町の喧騒は風に運ばれ耳に届く。お祭り好きのオーナーのことなら、どうせ早々にホテルを放り出して遊びに行っているはず。そんな予想も大当たりだ。ニヤとロビンは笑う。
「いい店があるんだ」

     ◇

 街の中心部は見渡す限りお祭り騒ぎだ。マルアハに脅え一生を終えるのだという人々の絶望は一日にして崩れた。解放されたエネルギーは計り知れない。抑圧から開放された町は、あらゆる色で彩られている。白い壁にはペンキで花の絵が描かれていた。
 マルアハによる被害が発生したエリアは封鎖されていた。中央より派遣された調査団のみが出入りしている。前代未聞のケースだ。このマルアハの消失のニュースは瞬く間にあらゆる新聞、ラジオで取り沙汰され、世界の人々をも賑わせている。通りに散らばる新聞の号外の見出しが踊っていた。

 人混みをロビンはのしのしと進んでいく。ときたま振り返る。ジウはまだしも、ヒガンは肉の海でもがいている。ロビンがスピードを緩めたとてヒガンとの距離は広がっていく。ジウはしんがりのように彼女の後に着いていく。これではいずれ遭難しかねないと、ロビンはぐるりと振り返り彼女の元へ泳いでいく。
「大丈夫かい?」
「ごめんなさい、慣れてなくて」
 ロビンは彼女の手を握った。
「あとちょっとの辛抱さ、これで迷子は大丈夫だろ!」
 太陽の笑顔がヒガンを照らした。ロビンはまたもやずんずんと進んでいく。握るその手は力強い。ほのかな安心感が胸に広がっていく。ロビンは何があろうと堂々と、揺るがない。太陽のような人だと、手の温もりがイメージに重なった。

 手を引かれながらヒガンは振り返る。彼は? ジウはこの人混みで眉も顰めずに着いてきている。人混みを泳ぎながら何度も振り返る。そこにいる。目が合う。彼は軽く手を挙げた。
 大勢の人でもみくちゃにされているのに、一本の線が自らと彼を繋いでいるようだった。
 どぐりと、心音が身体に響いた。

 表通りの隣の隣。メインの通りではないにせよ、ある程度の広さがある。行き交う人々の数は少なくもないが、先ほどより息もしやすい。ほんのりと陽光が石のタイルを照らしている。
 赤い看板の料理店の前でロビンは歩みを止めた。弦楽器の民族音楽がラジオから流れている。テラス席のテーブルには多種多様な料理が広がっており、老若男女が会話に花を咲かせている。ふくふくとした頬の赤子が、母親らしき女性の腕の中でぐっすりと寝ていた。
 湯気と香ばしいチーズの匂いを纏った大皿を両手に、どたどたとくせ毛をまとめた小太りの老女が店内から現れる。ロビンは彼女に手を振り駆けつける。
「ようバーサン! やってるか?」
 老女は大仰に目を開いてみせた。
「帰んな! 今日はあたしん家族で貸し切り!バケモノくたばりお祝いパーティさ」
「おめでたいんなら、今日だけ家族が三人くらい増えてもいいだろ?」
 ロビンは後方ジウとヒガンの間に入り、ふたりの腰に手を回してずずいと前へ押し出した。
「あら、見ない顔だねえ」
「は、はい、アカツキ居住区から来ました。初めまして」
「俺はエンドの上から。よろしく」
「こんな端っこへよく来たねえ! 見るもんなんてないだろ?」
「見るもんないってのを見にきたんだよ」
 ロビンは指をさす。邪魔者のいない青空だ。老女は目を丸くする。そして大きな口がぐいと笑った。
「そりゃあ、歓迎しなきゃだねえ」
 両手の皿を近くのテーブルへ置く。ロビンとヒガン、ジウ諸共を太い腕で抱き寄せた。

「歓迎するよ! ようこそ、かつての地獄の一等地へ」

     ◇

 ロビンは老女に軽く注文を頼む。来てからのお楽しみということで注文した料理は二人に明かされていない。幸い二人とも食べられないものは少ない。
 ヒガンは水を飲み息をつく。道中でかなり疲弊したようだ。ジウは、吸い殻入れに短くなった煙草を入れ、咥えていた新しい煙草に火をつけた。二人がふうと息をついた所で、テーブルに肘をついたロビンは口を開いた。
「なあなあ、改めて自己紹介しようぜ! そういやお互いのこと全然知らねえだろ?」
「うん」
「そんな余裕なかったですもんね……」
 一日にして戦友となった三人ではあるが、出会ってたったの一日に過ぎないのだ。ロビンはぐっと親指を自らに向けた。
「おれはロビン、大どろぼうだ。ここ出身。二人は?」
「私はヒガンです。アカツキのカフェで働いてます」
「俺はジウ、工場で働いてる。不死身。よろしく」
 世界レベルでレアな自己紹介だ。ロビンは身を乗り出す。

「結局不死身ってなんなんだ? それもアビリティなのか?」
 死なずの者など人々の語る物語の中にしかいない。それがどこにでもいそうな顔のこの男が不死身だというのだから信じがたい。
「多分そうだろう」
 ヒガンも、自身の中で燻らせていた問いを投げる。
「その、いつ不死身になられたんですか?」
「随分昔のことだ。忘れちまったよ」
「忘れた?」
「ああ、忘れた」
 どうにもぼんやりしている。はぐらかしている、というようにも見えない。
「あの、アビリティ出現のタイミングは人それぞれっていうことですよね」
「多分な」
 あの夢空間の中で、イノセンスは「いままでの生命活動の中で」ナナツミのアビリティは出現したと言っている。具体的な出現の時は明示されている訳ではない。

「なら、死ぬのを“忘れた”ってことで、“怠惰”のアビリティが現れたのが、何千年前だったりする、のかもって」

 胡麻粒のような瞳が、少しだけこちらを向く。
「思って……」
「確かになあ! 筋は通ってるぜ。そこんとこどうなんだよ?」
 疑惑と好奇心、ふたつの視線がジウを捉える。
「……」
 沈黙。その意味を読み取ろうとぬぼーっとした彼の顔を二人は凝視する。三白眼は昇る煙を見つめている。見つめている。……見つめている。記憶をたどっているのだろうか、何も考えていないのだろうか、よく分からない顔をしている。

「本当だったらどうする?」
 煙と共に、ぽろっと言葉を溢す。

「ほ、本当なんですか?!」
「さあね」
「あ、はぐらかした」
 はぐらかした訳は、彼の分かりにくい冗談なのか、それとも仮説が本当だからか。途切れることのない細い煙が空へと伸びている。

 ジウはふらりと立ち上がり、近場のテーブルからピッチャーを拝借する。自らの空になったコップに水を入れ、ついでに水の減っていた二人のコップにも注いだ。水面がゆらゆらと揺れている。

「そういやヒガンはどんなアビリティ持ってんだ?」
「わ、私ですか?」
 思わず質問を向けられたヒガンは視線を少しだけ下げた。昨日マリアンを守るため咄嗟に使用したが、ロビン達にアビリティを見せたことはまだ無い。

 あの四本の刃は自らの罪の形だ。このアビリティに目覚めたあのときから、外に顕現してしまった、自らの忌まわしい感情だ。
 だからといって、アビリティを開示しない訳にはいかない。これから、きっと共に戦っていく中でどうしても見せることになるだろう。
 微かに、口を開く。

「アニキっ!」
 ヒガンの声はわんぱくな声に遮られた。
 ロビンには聞き慣れた大きな声が駆け寄る。ヨーマンだ。マリアンも彼の後ろを小走りで追いかけていた。手を振る。
「もう席はないぜ!」
「俺たちもう食べたからいいもん。アニキ、そこの人達って?」
 ヨーマンは不思議そうなにヒガンとジウを見つめる。
「まあ、“仕事”の仲間、ってとこだ」
 ロビンの仲間というのは大体同じ年頃の子供たちだ。このような大人が仲間になることは珍しい。ヨーマンは藍の作業服の男をちらと見る。視線が返された。とっさに目を逸らす。彼の三白眼はどうしても威圧感があるようだ。

 マリアンはヒガンに駆けよった。
「お姉さん、あの、昨日はほんとうに、ありがとう」
 ヒガンは細い目を開いた。昨日のできごとが脳裏に再生される。恥ずかしい、苦しい、その言葉が嬉しい、でも、
 包括された感情を留めて、口角をほのかに上げた。
「いえ、お恥ずかしいところをお見せしました」
「お恥ずかしいところ? 派手にステーン! といったのか」
 マリアンはずいとロビンに詰め寄る。
「違うよ! 建物が壊れて落ちてきたときにね、お姉ちゃんの髪の毛がズバズバって瓦礫を切ってね、私を助けてくれたのよ!」
 幼い善意はすう、とヒガンの内から温度を消す。ロビンの丸い目が光る。
「そりゃあすげえなぁ! ヒガンのアビリティだよな?」
「は、はい」
「なあなあ、ちょっと見せてくれよ」
 ロビンはずいと顔を寄せた。近い。子どもの好奇心は恐ろしい。
 後ずさる。負けじとロビンはずずいと寄る。
「あ、あの。今は見せられないです! その、また今度。ほら、ここじゃ、危ないですし」
 手を右往左往させ、白旗を懸命に振る。
 言い訳が功を奏してか、目の前のロビンは身を引き、どすっと椅子に尻をつけた。
「それもそうだなあ。んじゃ、後でこっそり見せてくれよ?」
 ロビンの好奇心から逃げる事はできなさそうだ。

 マリアンの隣で、ヨーマンが彼女の手をぐいと掴む。
「アニキ、俺たちそろそろ行くぜ!」
「そういや何しに?」
「中央広場にさ、でっかくて雲みてえなアメがあるらしいんだよ。うかうかしてるとなくなっちまう!」
「じゃ、急がねえとだな。またな!」
 ヨーマンは後ろ向きに走りながら手を振る。
 マリアンはジウとヒガンに軽く頭を下げる。ヒガンは彼女に軽く手を振った。
 マリアンは記憶のかけらを持て余す。「見られたくない」と言った彼女の後ろ姿が、手の冷たさとともに脳裏に浮かんでいた。
 そして、引っ張られるがままに彼の元へ走っていった。

 香ばしい匂いが店内から漂っている。料理はもうすぐだろうか。なんだかんだと、三人はそこそこに空腹だった。
「そういや、ロビン。青い心臓ってのはどうなったんだ」
 ジウが口を開く。既に吸殻がひとつ、儚い命を散らせている。
「それが、おれの中に消えちまった」
 あの巨体に釣り合わない、ヒトのものと同じ程度の青い球。あれはロビンの掌で溶けていった。
「き、消えたってどういうことでしょうか?」
「青い心臓てのはさ、おれ達の肉の心臓とは違って、ぜんぶ魔力でできたモンなんだ」
「マルアハは魔力で形成されているっていうの、本当だったんですね」
 国では魔術の基礎的な教育がなされている。魔力は粘土のようなものだ。その主体が望むままに形を変えることができる。魔力は不可視のエネルギー物質である。 現在この地上に魔力で形成された身体を持つ者は一種のみと言われている。それがあの異邦人だ。

「そんで、モツと一緒さ。魔力満点、すっげえ量が詰まってたのよ」
「体は大丈夫なのか」
「今んところは大丈夫だぜ。入ってきたときは体ごと爆発しそうでヤバかったけど!」
 内に入ってきた膨大な魔力はぎしぎしと袋を拡張するように、ロビンの内に満ちていった。その袋は拡張されたまま、なんとか破れず保っているということだろう。
「……それって、本当に大丈夫なんですか?」
「まあ、イノセンスに詳しく聞いてみる。分からないことばっかりだしなあ」
 夢の中で彼女の名前を呼べば、追加の質問に答えるというイノセンスの言も到底信じられはしない。しかし、ここまで不可思議が続けばそれなりに信じられてしまう。
 その他にも質問したいことは山ほどあった。ロビンはまだ、あれらと向き合うつもりだった。いや、これからが本番だ。情報を集めて損はない。
 しかし、ふたりはどうだろう。はっきりと聞いておくべきだと、ロビンは口を開く。

「ふたりはこれからどうする? バケモン退治を続けるか?」
 あの巨大な力を前に竦まない者はいない。奇しくも集った三人であるが、共同戦線を続けられるとは限らない。

「ああ。逆らう方が面倒だ」
 懸念はあっさりと砕かれる。
 存外彼が行動的なのも、依頼を黙って遂行する方が楽だからという考えなのだろう。
「ヒガンは?」
 彼女は戦いからは遠い人物のように思う。まず、あの場に現れたことも不思議だったのだ。

「……私も行きます」
 暗い紫の瞳がロビンを見ている。逸らさず、揺るがない。しかし、陰りに覆われた決意だ。
「無理してないよな」
「大丈夫です。逆らうほうがどうなるか分からないし」
 微笑む。彼女を突き動かすのは、あの首切りから始まった恐怖なのだろうか。それとも。
 暗い目の奥底に、何かが隠れている気がする。手を伸ばすには時期尚早だろうが。

 “怠惰”に“嫉妬”。狭くなったとはいえ広大な世界で選ばれた七人のうちの二人。戦友。不死身と、切り裂く力。
 アビリティは大欲、感情の反映なのだ。二人も、狂おしいこの衝動を持っているはずだ。
 知りたい。大どろぼうは、“強欲”は、なんだって欲しいのだ。いつだって、そのチャンスを狙っている。

「ロビンはどうする。心臓は盗み終わっただろ」
「おう。次のでっかいお宝を盗みにいく」
 悪戯っぽく笑った。
「今度はなにを?」
「あいつらのドタマの上、青いリングさ!」
 頭の上を指さした。ぴこぴこと獣耳が動く。
「……これまたでかいお宝だな」
「ずーっと気になってたんだよ! あのビーム出るやつ!」
 毎日毎日、否が応でも目に入る、あの白い巨体、青いリング。手を伸ばす、されど届かない。手に入るのだろうか? 夢想し、見上げていた。
 心臓を手に入れた今、現実にその手は届く。チャンスは溶けた心臓の跡、すでに自らの手の内にある。
 ずっとずっと、あれらのことが知りたかった。心臓は手に入れた。しかし、きらめく星の青が脳裏に残る、それだけだ。
 あれらのしるしが欲しい。ずっと見上げていた、マルアハに共通するしるしを。

「みんなでお揃いでさあ。あれってビーム出すだけの輪っかなのかね? あれをおれのモンにしたら、おれもビーム出せるかもしれねえぜ! 知りたいんだよ。自分の手でいじくらないと分からないだろ?」
 欲望の源は幼い。
「だから、盗りに行く」
 それ故に、凶暴な大欲となりうるのだろう。
「……」
 煙の向こうで、ジウは獣を見つめていた。

「となりゃあ、向かう先は大体一緒だ。どうだい、このまま一緒にやっていくのは」
 初回にしてスムーズな連携が取れている。単独行動よりもはるかにやりやすいだろう。それに、ロビンはふたりを気に入っていた。
「よろしく頼む」
「私も、そのほうが心強いです」
 ふたりとしても、チームの方がやりやすいようだ。
「んじゃ、“仕事”の仲間、継続だな!」

 焼かれたチーズの香ばしい匂いが近づく。そうこうしているうちに、いよいよ、主役の登場だ。
「はいお待ち! 熱いから気をつけるんだよ」
 老女はどすんと皿を置いた。ピザにははみ出そうなほどトマトとチーズが乗っている。湯気が立ちのぼり、食材はほのかにきらめきを放つ。ヒガンは感嘆を漏らし、ジウもそれを見つめた。
「ここのピザは本当に美味いんだ! 早いもん勝ちだぜっ」
 すでに切り分けられていた一切れを、大どろぼうは即座に掴み取り、大きな口で頬張った。昼食を終末に亀裂を入れた三人は迎えていた。

おまけ


「ちいーっすおばちゃん!ああ!席ねえじゃん!」

 ピザを頬張るロビン達の前にやかましい声が現れた。砂色の軍服の胸元を解いた、寝癖のような癖毛が特徴的な若い青年だ。

 山盛りの料理を抱えた老婆はそれを家族のテーブルに荒く置いていく。
「生憎あたしの家族で埋まってんだよ! 地べたにでも座ってなっ!」
「やっとのお昼休みにそりゃあねえよう、来るって言ったじゃん! あ、ロビン!」
 指を差されたロビンは大雑把に手を振ってみせる。
「相変わらずうるせえなぁデニス」
「お前が俺の席を盗んだんだな!? どきやがれっ!」
「欲しいもんは盗む! 大どろぼうの常識だっ!」
 ロビンはピザを咥えたまま、デニスとの席取り合戦にいそしんでいる。ロビンもロビンではあるが、子ども相手にこの横暴さ、デニスという青年も大方大人気ない。
「ロビンさん、あの、こちらの方は?」
 ヒガンは口元を手で覆いながら尋ねる。
「東部メルトライン防衛軍、デニス一等兵です。よろしく」
 デニスはそれらしくヒガンに敬礼した。ついでにチーズを引き伸ばすジウにも。

「マルアハが消えちゃあ、お前の仕事もねえんじゃねえの?」
 ロビンの膝の上に乗っかろうとしてきたデニスの背中を殴る。
「山盛りモリモリだよ! マルアハが消えたもんで“外”に出られると勘違いした野郎が集まって大騒ぎだ! あいつがいた時の方が暇だったぜ!」
「青線やっぱり消えてないんだ」
 エンドグラウンドの端、鉄条網の先。青くほのかに光る「青い線」こそがメルトラインである。

 メルトラインは地図上に便宜的にひかれたものでは無い。そこに「ある」ものだ。
 メルトラインとは、結界を定義づける線の名称だ。ほぼ、マルアハの動きと連動し、囲う範囲を狭めていく。このメルトラインを超えられる者はいない。その見えずの壁に触れた瞬間、あらゆる生命体は結界の魔力に身体を破壊されるだろう。電気柵に触れ、電気ショックを受けるように。

「ほんとにアイツは消えたのかねえ。信じられねえよ。俺の爺ちゃんが若かった頃 からいたんだぜ?そんなやつがいきなり……」
「いきなりったって、お前兵士だろ? あの場にいたんだろ?」
 兵士として借り出されていたのならば、ロビンの黄金の手を見ていたはずだ。加えて、この地域であの黄金の手といえば、大どろぼうロビンの代名詞である。
「そりゃそうだよ!だけど、馬鹿みてえな話だがなあ」
 苦虫を噛んだような顔が、ずいと近づく。

「なんにも、覚えてねえんだよ」
「覚えてない?」
 言い訳じみた、ヘンテコな理由だ。
「馬鹿みてえだと思うだろ? でもホントなんだよ! 記憶がねえんだよ」
 すっかり参った風のデニスの顔は嘘をついているとも思えない。記憶がない、記憶を失う。
 忘れる?

「へえ。そりゃ、すっかり忘れちまったみたいに?」
「おう。みーんなそうさ。怖えよ。これも、マルアハ野郎の力なのかな」

 ロビンはちらりとジウを見る。ようやくチーズとケリがついたらしい。のそりのそりと、新たなピザに手を出している。ヒガンも恐る恐る彼を見つめている。

     ◇

 デニスは結局、仕事の愚痴をロビン達に吐き散らかして職場へと戻っていった。

「お前だろ」
 ジウは平然と、新たにタバコを取り出す。
「先に言っときゃあよかったな。昨日足止め終わって戻るとき、ついでに消した」
「ありがとな。ちょっと引いたわ」
「びっくりしました」

「俺たちのことがお国にバレたら、とんでもなく面倒臭い」
 ジウは距離を感じたのか、雑な弁明を重ねる。
「手際いいですね……」
「お前、絶対前科あるだろ?」
「ないと思う」
「不安だなー」
「ロビンさんもどろぼうだから、前科はありますよね」
「うるせえやい! どろぼうなんか犯罪じゃねーし」
「法に拠れば犯罪ですね」
「法なんか、大どろぼうに効かねーんだよ!」
「やりたい放題だな」
「ジウには言われたくねえよ」

 空っぽの皿の上でおしゃべりは膨らんでいく。日の照るテラスで、大どろぼうとその仲間達は、大仕事の後の昼休憩を楽しんでいた。