第6話「一目瞭然」

 グランダリア帝国北部、アルカディア。
 対マルアハ防衛機構本部は眠れない夜を過ごしていた。第七会議室。スーツ姿の男たちが円形のテーブルを囲む。

「まだわかっとらんのか!?誰がこれをやったのだ!!」

 テレビの映像がスクリーンに映されている。マルアハが消えた青空。熱狂する人々。

「我が軍の兵力は動かされていません。間違いなく、我々ではない誰かがやったことです」
「ありえん。我々ではない誰かなどいないのだ!この世で最も大きな力は、我々が持っているのだぞ!」
 小太りの男は今にも内側から爆発しそうだ。

 針金のような老人は彼の癇癪を目に入れようともしない。ちら、と目線を向かい側の男へ向けた。
「魔術を得意とする各民族も不穏な動きは見せていなかった。だが……ナダイ大佐。貴様なら、隠蔽工作もできそうなものだな」
 老人の顔を、白髪、顎に髭を蓄えた男が睨み返した。その目の色は金に近い緑色をしている。
「ナダイ大佐。貴様、貴様の差し金か? 中央人の我らが大国を揺るがさんと、緑眼の貴様が?」
「さあ。もし私なら、皆様に大々的に宣伝をいたしますが」
「ああ、もう話をややこしくするのはやめてくれ!な!」
 柔らかい雰囲気の男が割って入る。ナダイの方へ身を乗り出し、今にも噛みつきそうだった小太りは、憎らしげに大きな尻を席へ落とした。

「カメラの記録は消えている。その場にいた兵士たちも、なにも覚えていない始末! 実行者の意図が見えん。まさに、スーパーヒーローの行いといった有様だ!」
「昨晩はSFの大作でもご覧になったようですな」
「黙れ!!緑眼ごときの貴様が偉そうな顔をしおって……!」
「感情に身を任せ、唾を振り撒くのが中央人の礼儀のようだ」
「何……っ!」
「コラ!全く喧嘩は外でやってくれたまえよ!それより、ほら。私の部下が入手してくれたんだがね」

「エンドグラウンド第17地区、一番遠くにある観測所のカメラ映像だ」
 スクリーンの映像が変わる。
 カメラワークは上下に揺れる。破壊される街の向こうに非現実の様相があった。
「…………黄金の、手?」

     ◇

 エンドグラウンド、ホテルのフロント。ロビンはちびっこ盗賊団へしばらく留守にすることを伝えに行った。その合間にジウとヒガンはホテルをチェックアウト。外の日差しは存外強いので、フロントのソファに座って、ロビンの用事が済むのを待っている。

 ヒガンは少々薄汚れた床をぼんやり見つめている。先ほど、ロビンが共有した事実に頭を占拠されていた。

 彼女から一人分ほど間を開け、ジウは買った新聞を読んでいる。『マルアハ消滅。中央は沈黙を守る』『想定外。観測所も予測できず』
 ちらりとヒガンを見やる。顔色はいつもに増して真っ白に見える。

「大丈夫か」
 新聞を畳みつつ、声をかける。
「……ちょっと、まだ動揺していて」
「さっきの、暴走するかもってやつ?」
「はい。もし、私が、何か……そういう風になってしまったらって思うと、どうしても……」
「自分のアビリティが恐ろしいのか」
「はい。む、昔……」
 言葉は消えていく。手が震えている。ジウは、彼女が何かをとても恐れていることを見てとった。
「…………二度としてはいけないことをしました。私は、もう、あんなことをしちゃいけない」

 首を絞められているようでもあった。彼はその苦しみにぼんやりと覚えがあった。
 ジウは一度席を立つ。近場の自動販売機で冷たい飲み物を買った。彼女にそれを渡す。「……ありがとうございます」

 一口飲む。飲み、キャップを閉じた。ようやく、彼女は少しだけジウに目線を向けた。潤いを宿した唇が少しだけ開き、閉じられる。そして、震えながらゆっくりと開いた。
「ジウさんに、お願いしたいことがあるんです」
「ああ」
「もし私が暴走してしまったら、何かをしでかす前に、記憶を消してくれませんか」
「記憶を?」
「はい。そうすれば絶対に止まる。二度と、この力で……誰かに危害を加えたくないんです」
 縋るように言葉を紡ぐ。

 ヒガンは「止めてほしい」ではなく「記憶を消してほしい」と言った。自らの切り裂くアビリティで皆に危害を加えたくないというのは本心。しかし、それに拮抗して、首を締める過去を殺してほしい思いこそがあるのではないか。
 彼女は過去という濁流に飲まれ溺れている。

「……多分消せない」
「ど、どうして」
「自分の根本にあるものは消えない。消えても蘇る」
「やったことが、あるんですか」
「ある」
 ジウはソファにもたれかかり、埃のかぶったシャンデリアを見上げる。

「誰に」
「長生きの老人に」
「……その人は、何を覚えていたんですか」
「自分が“何か”をやらかしたこと。それは取り返しがつかないこと」
「……………」
 彼女は再び俯いた。縋った木の幹は流れていく。
 座り心地の悪い、硬いソファが軋む。

「だけど、俺は違う方法で貴方を止めるよ」
 長い時を内包した目が、静かにこちらを見る。

「ロビンも手伝ってくれるだろう。みんなでやれば、貴方が想定する事態にはならないと思う」
 表情はいつものように変わらない。その不変は穏やかな大河に似ている。
 彼の返答は、ヒガンが一番に望むものではなかった。だが、確かに震える彼女の肩を支えるものだった。凍える冬の日に差し出された毛布だった。濁流に伸ばされた手だった。
 彼の目を見た。震えが少しだけ止んだ。

「……ジウさんは優しいですね」
 込み上げたものを隠すために、少しだけ笑った。
「面倒くさがりなだけだよ」
 ぶっきらぼうに返答する。

 そのとき、ホテルの回転扉がぐるりと回る。
「待たせたな!二人とも中にいたのかあ」
 自分の家に帰ってきたような、堂々とした声である。軽い足音がこちらへ近づく。ジウはロビンの方へ軽く手をあげて応じた。
 ヒガンの視界から黒い瞳が去った。

 あ。とヒガンは声に出さずに呟いた。
 そんなちっぽけなきっかけで、目を逸らしていた自分の中の執着と目が合った。あっさりと認識した。「私は、この人に私を見てほしいんだ」心の中で、自分がはっきりとそう言った。

 差し出された手をつかもうとして濁流の中で身を乗り出したら、脚に繋がれた鎖が一つ砕けた。

     ◇

 列車内。
 ロビン達はボックス席に陣取った。今にも人がこちらのスペースに押し込んできそうなほどに車内は混んでいる。
 ロビン達が次に向かおうとしているのはエンドグラウンド第16地区だ。ここに“婦人のマルアハ”が鎮座している。
 ターゲットを婦人のマルアハに決めたのは、ロビン達の滞在していたエンドグラウンド第17地区から最短距離で向かえるためである。ロビンが膨大な魔力を有しているため、どこでマルアハが目覚めるか分からない。リスクを避けるために最短距離にある婦人のマルアハに決定した。

「ヒガンは調子どう?」
「はい、落ち着きました。大丈夫です」
 微笑む。今は二人のためにやるべきことをする、と気持ちの方向を変えることができた。

 ロビンは膝の上に地図を開く。
「もう一回確認するぜ。まず、ふたりはあいつの動きを止めることに専念してくれ。んで、地区の避難場所はここ、ここ。あと、ここ」
 指差し、指差し、最後のポイントは指で弾く。
「で、もしも、も〜〜〜しも! マルアハがこの線に行くまでに、おれがリングを奪えなかったら、ふたりで奴を片してくれ」
「……はい」
「おれができたんだ。ふたりだったら余裕だろ!」
 からりと笑う。信頼を備えた軽口をロビンは難なく言ってみせる。

「それにな。必ず、おれはあいつの青いリングを盗るぜ」
 そして、己への信用。これが等身大の大どろぼうである。

     ◇

 ガガン、と列車は急停止した。人々は一個の塊のようにぶるんとその方向へ揺れる。次々と人の塊は窓へ集う。

 その先、凸凹な高層建築物の合間。ゆらゆらと揺れる“想定外”がいた。

 ノイズの後、車内放送。『緊急停止。マルアハ起動。マルアハ起動。至急、避難致します。乗客の皆さまは 落ち着いて着席、または近くの吊革へつかまってください』

「よしっ!」
 ロビンはそばの窓の鍵をパチンと外し、開け放つ。ゆっくりと動き出そうとする列車から、素早く飛び降りた。ジウもそれに続く。
「ヒガン!」
「は、はい」
「大丈夫!」
 早く出なければ降りれなくなってしまう。恐怖と共に窓の外へ体を押し出した。
相応のダメージを覚悟し、受け身の体勢を取る。「“掴め”ッ!」
 しかし、体は地面に転がることはなかった。黄金の手が彼女を包んでいる。
「行くぜ!」

     ◇

 地面が揺れている。どこか異様な風が吹く。
 エンドグラウンド第16地区。
 瓢箪の形をした巨躯。「婦人のマルアハ」は駒のように、一本の足を支点に回転を始める。

 マルアハは未だ遠景、輪郭はぼやけている。前回と比べ、距離が開いている。想定通り。
 街に人影は少ない。想定通り。ロビン達は走る。
「大分人いねえなッ!」
「みんな防災訓練で、避難所にいるんだ」
「真面目が一番!教訓だねえ!」
 ロビン達が作戦決行をこの日に決めたのは、地区単位で行われる大規模の防災訓練があったためだ。ロビンは人死がさして好きではない。
 過去全てのケースで、マルアハは、7体が一斉に動き出していた。今回のケースは1体のみ。それぞれの地区で警戒は強まっていた。

 走りながら、ジウは道端に停車してある車を指差す。薄い青色で、どこもかしこも凹んでいる。
「あれだ」
「盗まれなくて良かったな!」
「あれだけボロけりゃ金にもならん」
 ヒガンは後部座席に、ジウは運転席に乗り込んだ。シートベルトを閉める。ジウはエンジンをかけ、すぐさま道路へ乗り出した。

「アクセルアクセル!」
「うん」
 落ち着いた声色とは裏腹、ぐんぐんとボロ車は速さを増していき、車窓の風景は急流のように流れていく。
「だ、大丈夫なんですか!」
「昔、サーキットでレースをしたことがある」
 トップスピード。存外ハンドル捌きが軽い。
「まあ、ブレーキが壊れていて、激突して死んだんだが」
 彼は洒落が下手くそだった。
「今それを言わないでください!!」
「アッハハハハハハハ!!!」

     ◇

「ンン……」

 アパート一室。二度寝のち、地面の振動に目覚めたキルシュは、揺らめく婦人のくびれを外に見た。