第11話「素性の知れない隣人」

第16地区。
 エンド・グラウンドより内側に位置する地域、シティ・メトリオとの境界に近い町。
 街頭の大きなテレビがメルトラインの様子を映していた。そこに婦人はいない。多くの人々が青空を映した画面を見上げていた。

 人ごみをキルシュは通り抜ける。
 彼は「嫉妬」、「怠惰」、あと、マルアハを掴んでいたデカい手、おそらく「強欲」――この三人と合流するのはリスキーだと考えていた。もし、この馬鹿げた討伐に巻き込まれてしまったら今度こそ命はない。
 しばらくは身を隠そう。ここ第16地区と、ハリネズミ型のいた第17地区、あとは中央の方面が安全だ。

 しかし、この地区を出ようと思ったら昨日にでも出られたのだ。

 あの女。
 戦場で必死に息をしているようなあの女。
 マルアハをも切り裂く紫の刃。あれが彼女のアビリティ、彼女の「やりたいこと」の形だ。気弱そうな彼女から伸びる刃は、彼にとってどこかチグハグだった。
 彼女は何かを心の底に押さえつけている。何を押さえつけている?

「…………」

 ……それに、彼女には恩がある。何かしらを返さなければならないだろう。
 己の探し人、単純な興味、恩返し。

 キルシュは第16地区、以前に関係のあった人々の家を脳内にリストアップする。あの三人は消耗している。まだこの地区から動いていないだろう。
 やっぱり会いにいこう、彼女に。

     ◇

 縮毛のオーナーはうなだれていた。
 我がホテル。我が子の好きな真っ黄色に塗りたくったホテル。屋上には手作りだがプールもつけていた自慢のホテル。
 4階から上に5階がなかった。6階もなかった。屋上も、プールもそこにはなかった。

 思わず膝を折った。涙がこぼれた。いや、こんな場所にホテルを建てたのがいけないとは言わせない。自分たちは中央での在住資格が取れなかった、ならエンドグラウンドで生きるしかない。それでも、懸命に働き、夢を叶えたのだ。
 夢のホテルはぽっきり折れたが、自分の心もぽっきり折れた。
「うう……」
 蹲った。待った砂埃が肌について、涙がそれを流した。

 縮毛のオーナーの頭上から声が降りかかった。

「すいません。ホテルのオーナーさんですか」
「うう、そうだよ。うう」
「部屋借りれますか」
 なんだか尺に触って、バッと起き上がった。掴みかかって――コノヤロウ!借りれるように見えるか? 素敵な夜空を見渡し放題! 雨だってふり放題の素敵なお部屋です! とでも?

 オーナーの目の前。男はぐったりとした女を背負い、右腕に子供を抱えていた。
「屋根があって寝れたらどこでも。三人で」
 彼の顔は疲弊を漂わせている。

「バ、バカ言えよッ!とにかく入れ!一階のどこでもいいから!」
 不幸は自分だけのものではない。と思えるのは彼の紛れもない美徳だ。つまるところ、オーナーはお人好しであった。

     ◇

「ジウはさ、カミサマ、ソウゾウシュ、センセイって聞いて、どういうイメージが湧く?」

 ホテル4階、破れた天井から青空が見える。
 少々砂っぽいソファにロビンは寝転がっていた。大きな絆創膏や包帯が腕や足を所々覆っている。 
 ジウは足元のガラス片を拾った。ホテルの部屋を借りるにあたり、マルアハ起動の後始末をジウは手伝うことにしたらしい。ガラス片や細かな瓦礫を入れたビニール袋はだいぶ膨らんだ。割れた窓や空いた天井から風が入って少々肌寒い。

「……ひとまず、どれも上の立場に対する言葉だ」
「だよな。やっぱり、マルアハには上がいる。生みの親なり、司令塔なりの存在が」
 風が室内に舞い込んだ。埃が舞い、ロビンはプシュン、とくしゃみをする。前髪の砂を払いながら言葉を続ける。
「ついでに質問。上がいたとして、それはあの7体の中にいると思う?」
 ジウは広げた新聞紙の上に拾ったガラスを置く。
「いてほしいかな」
「ハハハ! つまりおれと同じ考えってことだな?」
「さてね」
「おれは8体目がいると思うぜ」
 指摘したくなかったことをロビンはたやすく口に出す。

「杞憂であってほしい」
「これも聞けば済む話さ。マルアハに直接な」
「そんなこと本当にできるのか?」
「ああ。今度は“記憶”を掴んでみせる」
 青いリングを掴んだとき、ロビンは一瞬ではあるものマルアハのデータベースに触れた。今度はそのデータベースに標準を合わせ、黄金の手を広げるのだ。

「イノセンスに聞けばいいんじゃないか」
「聞いてみるよ。ただ、直接情報を集めりゃ思わんことを拾えるぜ。何せ、おれ達はマルアハについて知らないことが多すぎる」
 マルアハ計7体は百数年前に突如として現れた。彼女らは魔力で体を構成している。青い心臓が弱点で、光輪を奪われても力を失う。そして、彼女らには上位存在がいる。婦人はそれを慕っていた。ロビンたちが持っている情報はノートの1ページにも満たないだろう。

「あいつらはどこから来た? 何を目的にして? なんでメルトラインなんか作った?なんで人間を狙う? 8体目と言わずもっとたくさんいるかもしれない。それに、あいつらには感情があって知能もある」
 戯れに空へ腕を伸ばし、手を広げ握り締めた。
「やっぱり、あいつらのこと知りたいなあ」

 床から視線を起こして、ジウは青空に向けられたロビンの手を見ていた。ロビンの強欲は無差別に牙を、いや掌を向ける。対象がどんな存在であっても。
「情が湧くとつらくなる。そんなこと忘れろよ」
「うーむ……」
 ジウはガラスの破片を新聞で包み、ゴミ袋に入れた。
 
「それよりロビン。俺たちの方では色欲と遭遇した」
 ポケットからタバコを取り出す。
「色欲! つうと……」
「色男の、若い、あー……喚いていた男だ」「あいつか!」
 喚いていた、という言葉でようやく判別がついたロビンである。
「だけど、戻ったときにはもういなかった」
「意外と近くにいたんだなあ」
 徐々に増す煙の匂いをロビンはすん、と嗅いだ。たばこの匂いは慣れているし、嫌いでもない。
「そろそろ、他のナナツミともコンタクトを取るべきかもしれんな」
「ああ。仲間が増えりゃあ上々、居場所が知れりゃあ、思わんところでマルアハが動く、なんてのもなさそうだ」
「手がかりがあればいいが」
「案外、そっちから声をかけてくれるかもだ。おれ達こんなに大暴れしてんだからさ」
 マルアハが倒されたニュースはすでに大陸を駆け抜けている。倒したのは誰か、それは明言され得ないがナナツミの彼らには見当がつくだろう。
「しばらくは運任せか」
 ロビンは横たえていた体をガバッと起こす。
「そういうことなら、暇つぶしにコインに聞いてみるか?」

 ポッケを探り、古びた銀貨を取り出した。
「見かけないものだな」
「カルムナエの王様が描かれたコインだ。遥か昔、小麦生い茂る大河の国を立派に治めてたらしいぜ」
「……大どろぼうの戦利品か」
 もしくは窃盗品。そういえば、ロビンは英雄ではなくどろぼうだ。

「さーて、昔々の王様よ!おれ達は他のナナツミと会うことができますか!」
「表?」「表さっ!」

 キン、とコインが抜けた天井、青空の元で宙を舞う。クルクルと回転して、そして、ロビンの手の中に落ちた。
「どっちだ?」
 ジウが覗き込む。

「…………裏だ」
 ロビンの獣耳がヘニョんと下を向く。
「前途多難だな」
「いーや! おれは王様のいうことなんて信じないし」
「信じてやれ」
 乱暴にポッケへコインを押し込めた。コインに描かれた王様は横を向いていて、むすっとした顔をしていた。

     ◇

「黄金の手、錯乱の力、紫の刃」

 吊るされた電球が一つ、暗い室内。
 木製の机の上に何枚かの写真が置かれている。

「司令官、俺ぁ本当に頑張りましたよ! 軍から隠れて、マルアハから逃げてっ!!」
「おう頑張った頑張った! ボーナス出してやる」
「その言葉に嘘はありませんよねぇ!?」
「たっぷり出してやる。バカンスもいかが?」
「頂きます!」

 部下らしき青年はどかっと椅子に尻を落とした。大分疲れているようだ。
 もう一人、「司令官」と呼ばれる大男は写真を手に取る。

「ヤツらの力はどうだった」
「司令官対みんなで手合わせしたときと同じです。怪獣大決戦でさぁ」
「ああ。俺たち同じ怪獣だ」
「ナナツミだなんだ言い出したときはマジかーってなりましたけど。見ちゃったら信じるしかないですね」
「ハナから信じろ!」「いてっ!」
 部下は蹲る。大男のデコピンは相当の威力らしい。

 明かりのそばを大きな蛾がフラフラと飛んで、その影が机の上を動き回っている。

「“強欲”、“嫉妬”、“怠惰”」
 黒い刺青の入った手が写真を1枚ずつまくっていく。

「お上もこいつらの写真を持っているはずだ。当然、奴らを飲み込もうと目を光らせている」
「でしょうねえ」
「そりゃあ見過ごせん。俺はアルカディアのお偉い共が大嫌いだからな」

「彼らが次に現れるのは第19地区の“ウシ”ですかね。それとも、ここの“拳”?」
「“婦人”から近場を目指すならそのどっちかだな。第1地区は吹雪で何も分からん」
「偵察班の奴ら、早く帰ってこれりゃいいけど」
「どちらにも向かえるよう俺たちは第19地区と第18地区の境界で待機する。皆を集めるぞ」
「はい。……いや、待って下さい。俺のバカンスは!?」
「青空が戻ってきてからな」
「そりゃ永遠に無理じゃないですか!!司令官の詐欺師!!」
 デコピンが飛ぶ。
「無理じゃねえ!残りは5体ぽっちだ!」
 
 頭上を飛び回る苛立たしい蛾を、大きな手がひん掴んだ。
「出るぞ」

 赤肌にドレッドが揺れた。