第15話「私が私であるために」



 ロビンの挑発にヒガンが乗った。  

 現れた大きな刃が黄金の手に振り下ろされる。
「“掴め”ぇえっ!!」
 それを両手で握った。ぐわんと大きな圧力、ロビン自身が潰れそうな衝撃だ。奥歯を噛み締める。
 だが握った。握り掴みロビンは立っている。月明かりにロビンの勝利に満ちた顔が照らされる。
 そこで、ヒガンの酩酊の頭に違和感が浮上した。

 今、ロビンはなにかを成し遂げた。刃を掴み拘束することが目的ではない。では何が目的か。
 しかし、考察に至るには遅い。答え合わせは己の体がしてくれた。

「っ……!」

 体から、ぎゅうと魔力が抜けていく。

 咄嗟にヒガンは刃を引き抜こうと力を入れる。
「逃げるなよ! おれの中身が見たいんだろ?」
 抜けない。黄金の手の拘束は強い。
「ズルい、ズルいですよっ」
「褒め言葉だなっ! “掴め”!」

 貧血のように、ぐわんと頭が揺れる。
 刃が黄金の手から逃れない。さらに引っ張ろうとするも、うまく力が入らない。刃が少しずつ細まっていく。赤い髪の毛から色が抜けていく。ヒガンは倦怠感にぎゅうと目を瞑る。

 成功だ。ロビンはニイと笑い犬歯を顕にする。魔力が入り込むのを感じていた。
 だが、にやけたままに眉を寄せる。既にいっぱいの腹の中にものを詰め込んでいくような圧迫感、じわりと汗が滲んでいく。それでも笑う。
 魔力すべてを奪えずとも、ありったけを盗んでやる。

「“見て”、“見て”」
 ヒガンは足掻くようにスペルを唱える。
「まだ、やり足りないでしょ、 あなたも、なら、何とかしてよ」
 掴んでいた刃が、どくどくと動く。手の内側を叩く。何度も、何箇所も、叩き、叩き、そして。

 瞬間、複数の刃が黄金の手を貫いた。

 刃というよりは枝分かれしたトゲのようだ。しかし、黄金の手は魔力で形成した塊、ロビン自身にダメージが入るわけではない。
 ないはずだった。

「ッ!?」

 ロビンは目を見開く、激痛。自らの手の中で刃が爆発したような激痛! 
 上半身が勝手に丸まり、伸ばした腕が引っ込みだす。握ったままの両手を見やる。血は出ていない、この手を刃が貫いたのではない。だが、激痛が両手の肉の中で暴れている。

 今度はヒガンが白い歯を覗かせた。
「痛いですか? その手ってあなたの動きと連動しているんですよね。私の刃と一緒です。術者と繋がっているものなんですよ。なら、やろうと思えば、痛覚をそこから接続できる!」

 黄金の手の中で刃らが枝分かれしていく。その針のような切っ先が魔力の中を掘っていく。
 そして、その感覚はロビンの肉の手に連動する。己の手の中で、針金の毛細血管が肉を掘り進めていくような感覚。
 砕かんばかりに奥歯を噛みしめる。くぐもった息と呻き声が漏れ、絞られたように垂れた汗が地面に落ちる。

「ッぐ、う……ッ!」
「さあ、離してくださいね」
 ヒガンはわがままな子どもをなだめるように言った。

 痛みに意識を取られ、魔力の吸引が覚束無い。そうだ、アビリティは行為者の欲望を叶える力、可変する力だ。なんてやりにくい。
 だが、自分もそのアビリティを持っている、魔力も持っている。まだ手はある。

 頭を垂れたロビンの視界、ヒガンの影が近づくのを感じながら、ロビンは自分に問いかけた。

 己は何が欲しい。ああ、二つだけじゃ足りない、もっともっと手が欲しい! ヒガンの刃のように増殖できたなら、そうだ叶えろナナツミ、魔力はある、寄越せ、更なる黄金の手を――

「ッっ“掴め”ええーーーッッ!!」

 大どろぼうは欲望を叫んだ。そして大きく目を開く。縦長の瞳孔、獣の目。
 そして、果実は欲望を叶える。

 ――キラキラと、黄金の光が舞う。それはロビンの中から溢れる。ロビンの魔力の光だ。

 その光は、五本指の輪郭を作っていく。線がつながって、そこから立体的に膨らんでいく。そして、新たな右手が完全に現れた。
 右手だけではない。スピードを増して、光はもう一つの手を形成していく。新たな左手。
 二つの手はすぐさま、旧い手に重なった。
 二重の両手がヒガンの刃を掴んでいる。ロビンは、ぐいと視線を上げた。
 汗に塗れた顔で、黄金の目がギラギラと瞬いている。

 その暴力的な輝きに、ヒガンの心は奪われる。追い詰められた獣がこうにも美しいのだとは。それを見ているのは自分しかいない。

「あはははははは!」

 ヒガンは笑った。満面に、腹の底から笑った。
「そんなに私の魔力が欲しいんですか!?」

 ロビンは己自身に集中している。ヒガンの笑い声さえ夜風のように通り過ぎる。

 痛みが手を離せとしきりに命令している。黙れ、離すものか。盗むと決めたなら遂げろ。大どろぼうならば、いや、その名を本当に自分のものにするために。
「ああ、“掴め”よ、“掴ん”でやるっ!!」
 
 ロビンの声を合図にしたように、ぐにゃりとヒガンの視界が歪む。
 ようやく、ヒガンは勝利が奪われようとしていることに気がついた。

 魔力の流出が加速している。あの新しい黄金の両手はハリボテではない。伸ばした刃の枝がゆっくりと、来た道を引き返していく。
「……本当に、諦めが悪いわ」
 ヒガンは口角をあげた。ああ、ロビンのこのしぶとさが憎たらしくて憎たらしくて、心の底から愛おしい。
「“見て”!」
 拍車をかけたように、トゲが再び黄金の手を進む。「“見て”!」そして引っ込め、刺し直す。繰り返し刺す。使える力の限りにズタズタに。
 ロビンは大きな目をこれでもかと開く。呼吸が乱れる。痛みに声を上げる。それでも、手を離さない。

 またしても拮抗状態。
 ロビンが魔力を吸い取るか、ヒガンがロビンの手から逃れるか。マルアハを吸収したナナツミ二人の戦いだ。誰かが石を投げなければ、この泥仕合は永遠に続く。
 だが、既に石は投げられている。

 ヒガンは朦朧とする頭で考えていた。
『もっと刺さなきゃ。刃を分けて、刃?』

 思考に白く、穴が開いている。
『嘘。あれ、私は、どうやってこれを、動かしていたっけ』

 穴が、徐々に増えていく。
『そもそも、何をするつもりだった。違う、何かが、おかしい』

 突如、ヒガンの刃の動きが止まる。

 ロビンは息も絶え絶えに彼女の様子を伺う、限界が来たか? 彼女は硬直している。
 ヒガンは手を額に当てる。目をぎゅうと閉じる。何かひとりごとをこぼしている。ロビンは耳をすませる。
「違うわ、私、切り裂きたいんでしょう。嘘。忘れるわけない、なんで? 動いて、いいところなのに!」
 混乱している。忘れるわけない? まさか。

 そのとき、ロビンの獣耳がぴくりと動いた。声が聞こえたのだ。

「“忘れろ”」

 枝分かれした刃が引っ込んでいく。
「ッ“掴め”!」
 ロビンはすかさずフラットになった刃をぎゅうと掴み直し、再び標的、魔力を奪い取っていく。
 ヒガンはぐらりとバランスを崩す。握られた刃が徐々に、徐々に細くなっていく。引っ張るところで微動だにしない。
 足に力が入らない。倦怠感に耐えられない。体が勝手に、力を抜いた。
 ヒガンは、とうとう膝をついた。

 ロビンはヒガンの刃を掴んだままで、振り返らない。それでもその存在を感知していた。愉快でたまらず口角が上がる。足を引きずる音。血の匂いと、タバコの匂い。
「助かったぜ、ジウ!」
 ヒガンは揺れる視界で目を凝らす。ああ、あの思考の阻害は。
「ジウ、さん」

 煙草を咥えたジウが、いつもの仏頂面でそこにいた。

 しかしながら腕は力なく垂れ、ズボンの太腿部分は血で黒ずんでいる。
「何、を」
「置き土産にアビリティを流していた。間に合ってよかったよ」
 彼が喋るたびに煙がくねる。ジウは、片手に四本の刃を握っていた。

 ジウは、二人が去った少し後に生き返った。
 痛みは多少マシになりつつあった。ヒガンがロビンに標的を変えたことで、痛覚を引き出す力が弱まっていたのだ。「“忘れろ”」念のためアビリティでしっかりと痛覚を消した。

 そして、体に突き刺さった刃を抜き出し、そこへアビリティを流し込んだ。刃はヒガンと魔力のパスで繋がっている、アビリティを流し込めばヒガン本人に影響が出ると考えた。『痛いですか?その手ってあなたの動きと連動しているんですよね。私の刃と一緒です。術者と繋がっているものなんですよ。なら、やろうと思えば、痛覚をそこから接続できる!』
 まず、ジウは自らに刺さっていた四本の刃の存在を忘れさせた。そして、歩きながら徐々に刃の操作にまつわる記憶をうやむやにしていったのである。

 形成逆転。
 ヒガンは膝をつき、首を垂れて地面を見つめている。口で息を吸う。動くことができない。

 ロビンは黄金の手を解除した。力なく、ヒガンの刃が地面に落ちる。
 握りっぱなしだった自分の手を開く。痛みが引いたとはいえ、痛みの余韻に手が震えている。改めて恐ろしいアビリティだ。ある程度細まったとはいえ、再び振り回されたらたまらない。振り回す余力が残っているようには思えないが。
 ロビンはそのままヒガンのそばへ歩を進め、しゃがみ込んだ。
 
「楽しかったか?」
「まだ、まだよ」
「ハハ、欲深えにも程がある」
 面白そうに言いながら、ロビンはどたりと尻餅をつく。体が重い。このまま一歩も動けそうにないことが分かった。

 そして、ヒガンはその隙を見逃さない。
「“見て”」

 ヒガンは落ちた刃をロビンの体に巻き付けた、特に両手を厳重に。「ッ!」刃が肌にくい込む。そのまま絞め殺すほどの力はないが、確かに体は拘束された。すかさずジウが手持ちの刃を握る。

「“忘れ”」「“見て”!」

 彼のアビリティが発動する前にジウの手の中の刃が伸び、彼の体を拘束した。バランスを崩しジウは倒れる。拍子に口から煙草が落ちた。
「っ“掴め”!」
 ロビンは黄金の右手を展開する。ヒガンを狙おうとするものの両手が塞がれている以上操作が難しい。上方に動かすのもやっとで、力がうまく入らず散り散りに消える。力の標準がうまく合わない。ロビンの体力も限界だ。

 ヒガンは顔に手を当てながらなんとか立ち上がる。
「もう一回、寝ててもらいますね」
「断る。“忘れろ”」
 ジウのアビリティに、刃の扱い方がぼやけていく。頭が混乱する。思考に白く穴が開いていく。何をしようとした? 頭を探って探って、その隙間に小さな疑問を見つけた。
 ジウとの再会の際、ふと浮かんだ疑問だ。

「さっき、ねえ。さっき、痛かったんですよね。なら、なんで来たんですか、怖くないんですか」
 今更何を聞いているんだと、ヒガンは一層頭が痛い気持ちだ。体の不快ゆえに瞑っていた目を、薄く開く。

 泰然と見上げている、黒曜石の瞳と目があった。
「怖くはないよ」
 揺らがぬ声で言った。
「なんで」
「それ以上に、優先することがある」
「それは、何ですか」
「己の役目だ。俺は、それを果たしたい」

「…………役、目?」
 ヒガンはオウム返しに言った。予期しない言葉が、頭をフリーズさせた。

 刃でがんじがらめにされ床に倒れているにも関わらず、ジウはひとかけらの焦りもない。一呼吸おいて、確かな声量でゆっくりと話す。
「貴方は人の中身を見たい。そして、俺は裂いても死なない。ならば、他ならぬ俺が担うべきことだ」
「…………」
「それを役目という」
 生徒を諭す教師のように、そう言った。
 ジウはヒガンと目を合わせている。ヒガンはジウを見ている。
「……よく分からない。誰かに言われたから、命令されたからってこと、ですか」
 恐れで、声の温度が下がる。他者の命令であるならば、彼の言葉は屈辱だ。

「誰かに命令されたのではない。俺が決めていることだ」
 ヒガンの問いに意志を返す。
 彼の言葉に、ぐるぐる巻きのロビンも耳を向けていた。これは、寡黙な彼が抱え持っている、顕わにすることのない信条だ。その物珍しさに、絶体絶命にも関わらず興味を惹いた。ヒガンも、彼の言葉を前のめりに聞く。

「俺は、役目だと思ったことをやり遂げたい。それだけは覚えている。昔のことを忘れても」
 ああこれが、彼を彼たらしめることか、とロビンは思う。

「俺であれば、死なずに貴方の欲望に応えられる」
「……」

「だから、どうか俺に役目を与えてはくれまいか」

 言い終えて、ジウは一度ヒガンに言葉を咀嚼してもらうべく、口を閉じる。伝えるべきことは伝えた。加える言葉はない。
 夜風に少々体が震えた。流石に半袖は寒く感じる。それとも、失血による寒気なのだろうか。
 ロビンも今しばらくは黙っていた。二人の間のやりとりを邪魔してはいけないような気がした。

 ロビンが4回、自らの呼吸音を聞いた頃合いだ。
 ロビンとジウを拘束していた刃がしゅるり、とヒガンの元へ帰っていく。そして、集った刃が一本にまとめられる。
 何をする気だ? ロビンは彼女を伺うが、髪の毛で表情が伺えない。音を立てないようにして起き上がる。

 ヒガンは一歩、二歩、近づいて、ジウのそばに座り込んだ。

 ジウからは、彼女の表情がよく見えた。頰の傷から血が垂れる。顔を覆うセミロングの髪は白くなっていて、それが彼女の顔の赤みを引き立たせている。
 口が震える。ヒガンは、なんとか言葉を押し出した。

「あの、お、おかしいです、理解できないです」
「変かな」
「あなただけが、私に、できるって」
「そして、他ならぬ貴方だけが、この役目を与えられるだろう」
 胸で、炎が燃えている気がした。『どうか俺に役目を与えてはくれまいか』、きっとこの言葉は、子どもと目線を合わせるために、しゃがみ込んだ大人の言葉だ。ヒガンはそう解していた。
 それでも、それでも炎が燃えている。いつか、灯された炎と同じ。
「それって」
 拙く、言葉を吐き出した。
 
「それって、とても、運命的ですね」

「“見て”」
 そしてアビリティのスペル。穴の空いた四肢の痛みがじわじわと蘇る。ジウにはこれから起こることが理解できた。そして覚悟を決める。

 集った刃がジウの腹を貫いた。

「ヒガン!」ロビンがジウに駆け寄ろうとする。しかし、苦痛に顔を歪めながらジウは手を押し出し静止する。ロビンは止まる。任せろということか? 踏みとどまる。何か考えがあるのか。

「とても、特別ですね、こんなこと、嘘みたい」
「ッッ!!」
「私を、見てください、私を。私も、見ているから、役目を果たす貴方を」

 ロビンの目の前でザクザクとジウが切り裂かれていく。いい考えもクソもない。ただジウはヒガンの斬撃を受け止めているだけだ。だが、それ以上にできることはないだろう。彼女のやりたいように、やりたいだけやらせる。確かにそれが一番だ。
 ロビンは再び、片膝を立てて座り込む。こっそり鼻を摘む。鉄の匂いがむせ返っている。

 ヒガンは裂いた跡を見つめながら、ポロポロ涙を流している。そして、刃を入れ込んでいく。ロビンには理解できないがこれがヒガンの欲望だ。何しろ彼女は心底幸せそうな顔をしている。
 目を逸らすのは、なんだか敬意がない気がした。ロビンは二人のやり取りを見守る。確かに、こんなことができるのはジウ一人だけだろう。ゲンザイが実った奇特な人間。まごうことなき、規格外だ。

 裂いて、笑い、見つめて泣いて、そして、段々と刃のスピードが落ちていく。

 伸びた刃がしゅるりとヒガンの側に収まった。彼女の肩は上下している。顔からブラウスまでが、返り血で真っ赤に染まっていた。
 ジウは痛みを堪えながらも彼女を見ている。

「ふふ、もう、眠くなっちゃった」
「……」
「ありがとう、ジウさん。ロビンさんも。私、とても、楽しかったです」
 ロビンは立ち上がり、彼女のそばに腰をおろした。
「ならよかったよ。今日は一緒に寝る?」
「大丈夫。でも、また、頼ってもいいですか」
「いいよ」
「貴方たちって、本当に、変なひと」

 ふっと、ヒガンの体から力が抜けた。
 ぱた、とヒガンの上半身がジウの胸の上に倒れる。そして、彼女は動かない。気を失ったようだ。

 ジウはなんとか手を持ち上げて、それを顔の上に落とす。手のひらで顔を覆う。
「“忘れ、ろ”……」
 掠れた声でアビリティを起動し、痛覚を消す。彼の呼吸に合わせ胸が上下する。
 ようやく、全てが片付いたようだ。ロビンは大きく息を吐いた。
 二人とも起き上がる余力はない。

「このままここで寝ていいかなあ」
「風邪ひくぞ」
「ジウにだけは心配されたくねーな」
「そろそろ落ちそう」
「お前も大概イカれてる」
 ロビンはくっくと面白そうに笑った。

 空はほのかに白み始めていた。朝が近い。二人はそれをしばらく見ていた。ヒガンはすうすうと、静かに寝息を立てていた。深い眠りは久しぶりだった。

 こうして、ヒガンの暴走は止まった。