『FATal Error』
シティ・ホール最上階、ロードの執務室。
街は夜闇の中で小さな光をともしている。時刻は夜の入り口で、シティ・ホールのその体、首から下は活動を停止している。
最上階は街の喧騒から隔絶されて、静かだった。部屋の明かりは消えている。
プレジデントチェアはよく手入れのされた黒色の革製で、窓から入り込む街の光を宿している。それに腰かけていれば、ロード・アルフレッドの白髪と白いスーツが際立って見える。
サファイアブルーのシャツはしわ一つついておらず、ペイズリー柄のネクタイは緩めていない。
大理石の床は雪国の空の色をしていた。
彼はデスクに背を向けて、すぐ後ろの窓から街を眺めている。
背後で、両開きのドアが開く音がする。ノックなしに。
これは、ロード・アルフレッドがとうに予見していたことだった。
重い靴が床を蹴る。努めて冷静であろうとしている。そんな歩き方。
「よう、ロード。優雅につまんねえ夜景でも見ているのか?」
煙の匂いがする。
「ああ。味気ないが、だからこそ心を打つ」
椅子を彼の方へ回した。
開かれたままの扉の前に、唯一無二の友がいる。
ざっくばらんに纏めた赤いくせ毛。シャツの胸元には丸いマークがついている。黒いズボンの裾は靴底の赤いブーツに入れている。
度のない丸メガネは置いてきたらしい。
彼の仔細な表情は闇に紛れてよく分からない。口角は少しばかり上がっているか。
ロード・アルフレッドは目を細めた。
「久しぶり、セドリック。会いたかったよ」
「はは。だからこんなにすんなり入れたのか?」
「私が迎え入れるよう指示した。それで、君は何を言いに来たのだろう」
「世間話さ」
セドリックは一歩か二歩こちらへ近づく。立ち位置を決めたようで、それから先には踏み込まないと決めたようだった。そうして、口を開く。
「あんたの街に住んで、もういくらか経ったかな。招待状が届いて、俺とダフネの二人で越してきて」
「あの……女の子だね」
「そうだ、いつだか夕食会で紹介した」
「ああ、覚えている」
「居心地のいい街だと、二人で話していた。空爆もないし、食い物は十分、街は衛生的」
「君からそう評価してもらえるのは、とても嬉しい」
「ははは。だが、そんなの嘘っぱちのハリボテだった」
暗闇の中から、金色の目がこちらを見据えている。
「ここは誰だって、殺し殺される権利を保障した、この世でいちばん狂ってる街だ」
ロード・アルフレッドは肯定も否定もしない。
「最初はいい街だと思ったよ。ダフネも気に入って、安心していた。安く家を借りられたしな。俺たちみてえな何も持たないやつらには、いい街だったよ」
GIFTの登録さえすれば、この街で生活をするのは容易い。衣食住は揃い、セーフティネットも抜かりない。
「だが、GIFT法のどうしようもねえ仕組みが明るみに出て、暗雲が漂い始めた。この時ばかりは学のなさを恨んだよ。法のカイシャクだの、なんだのって俺は考えたことがなかった」
GIFTを奪われれば、この街にいることは許されなかった。
加えて、GIFTを奪うことは法で認められていた。それは咎められることではなかった。GIFTを奪うために人命を奪えば、それさえも無視された。
「余裕か覚悟があるヤツは街を出ていった。俺は出ていけなかった。今更他の街へ行くにも金がかかる。そっちで職を見つけて、安定した生活を送れる保証もねえ」
セドリックの経歴には戦火が纏わりついている。磨き上げたスキルはそれに付随するものだった。一人ならまだしも、二人でそれなりの生活をするにはあらゆる困難が付きまとう。だからこそ、この街は楽園に見えた。
「それに、殺しがブームになる前だったからな。GIFTだなんだあったって、あいつのGIFTはワンコインで買えるボロい人形だ。そんなの特別奪いたがる奴なんぞいないだろ? そう思って、俺たちはこの街に留まった」
「……」
「だが、現実は想像以上だな。いたのさ。あいつはGIFTを奪われて、殺された」
怒りがこちらを見つめている。
「すぐ通報したよ。警官共がゾロゾロやってきた。だがね、ご立派な青目一人の一目で捜査は終了だ。犬共は悔やみの言葉を吠えて帰ったよ。おかしくて涙が出る。こんな話があるもんか!」
皮肉気に笑った。乾いた笑い声だった。
「死体は俺が片付けた」
冷たい刃の先に言葉が収束する。
「どうして娘は汚ねえ人形のために死ななくちゃいけなかったんだ? 誰かどうか、正しい正義を執行してくれないか、あらゆる場所を尋ねたよ。どこも、GIFTのせいだと、それで終わりだ。じゃあ、娘が殺されたのは仕方がないことなのか? お前が街の正義だ、ロード・アルフレッド。教えてくれよ。全部、全部、全部! 全部だ!」
彼の、開いた手の内に血が滲んでいた。
セドリックの声が部屋を反響して、それから再び静寂に満たされる。
セドリックは荒い息のままロード・アルフレッドを見据えている。
ロード・アルフレッドは、ようやっと口を開く。
「……君の痛みは、我が事のように伝わるよ。しかし、これがこの街の現実なんだ。君には昔の好がある。特別君のダフネ嬢には、この街の墓所の一箇所を提供しよう」
「アル」
昔の呼び名の向こうに、変化した互いがいる。
「やったのは、お前だろう」
「……」
アルフレッドは彼を見た。その顔の向こうに、彼の道のりが見えた。
その場にいた者の証言、あらゆるカメラの映像。親衛隊。青目。フードを被った「誰か」。銃創は複数、拳銃に慣れない者の犯行。ロードのその日の予定、足取り。
小さな証拠を集め、集め、パズルをはめて、そうして彼は犯人を見つけた。
「……そうか。君は自力でたどり着いたんだね」
席を立つ。
そうして、ようやくアルフレッドは一個人として話し出した。