『ROSES:Ruslan』

「そこの色男。バラを持っていけよ」
「……俺ですか?」
「そうだよ。赤シャツ部隊さん」
「はあ」
「今ならタダだ、いくらでも持っていけ。いや、持っていってほしい。俺の体にバラが巻き付く前に」
「……持てる分だけなら引き取ります」
「おっ、言ってみるもんだなあ。親切は美徳だ」
 オーナーはドサッと、持てる分だけのバラをルスランに授けた。
 これもまた、神に与えられた試練……というよりは、宿題だ。



「どうしよう」
 両腕でバラを抱えたルスランはアパートへ帰ってきた。赤い花びらがはらはらと廊下へ落ちる。
 ルスランはそれをばっと、フロアに落とした。後で掃除が大変かもしれない。
むわっと生々しい花の香りが広がった。

 これは、父の日のキャンペーンで配られているものだ。父、父はこの街にいない。
 なら、渡すべき人は誰か。ポスターの文句を思い出す。『日頃お世話になっているひとに……』
 ヴァイハの皆か。

 しかし、皆はもうバラを貰っていそうだ。バラばかり貰うのも飽きる頃合いか。
ちょうど今日は休日で、やることはいつもの如くなにもない。それならば、プレゼント作りに乗じるのもいいかもしれない。
 携帯を取り出し検索する。ドライフラワーでは時期がすぎてしまうか。バラのジャム、こういったものもあるのか。
 頭の中に作るものをリストアップしていく。必要な材料はどこで買い揃えよう。今日はまだ時間はあるし、散歩がてら、ゆっくり回っていくのがいいかもしれない。

 彼にとって暇は大敵だ。時間の余白は過去を呼び覚まし、現在を黒く塗りつぶしていく。だが、いくら逃れようとしても過去が顔を出すきっかけなど、いくらでも存在する。

 ひとまず、出る前に花弁を押し花にしておこう。部屋にある、平等に重さを与えられるものといえば、やはり自らのGIFTでもある聖典か。ついでに、図書館で借りた本も使ってしまおう。
 さっと下準備は済ませた。
 財布をズボンのポケットにつっこみ、青いスニーカーをはく。ドアを開ける。相変わらず建て付けが悪い。監獄の扉のような重さだ。



 街を歩く。心なしか花束を持っている人が多い気がする。
 スーパーに寄る。ジャムを作るための材料を手にとった。ついでに、シリアルが切れていたことを思い出し、少々売り場をうろついた。平日の昼時で、店内は年老いた住民が多かった。
 故郷の父は元気にしているだろうか。重労働で痛めた体に、今日も効かなくなった薬を塗っているのだろうか。もう、それを背中に塗る役は自分ではなく弟たちがやっているのだろうが。

 商品を購入し外に出ると、店内の冷気が愛おしくなる暑さを感じた。さっさと次の店へ行こう。
 文房具店など行ったこともなかった。どういう店の雰囲気なのか想像した。わざわざ文房具を買いに行くことがなかった。文字を覚えたのも組織に入ってからだ。聖典の写しをさせられた記憶がある。慣れない筆跡で聖典の文句と言うより、呪詛のような見た目であったが。

 文房具屋はどこか埃臭かった。きれいな色の紙を探す。己のセンスを信じているわけではない。暇そうに店番をしていた老いた店主に話しかけてみる。

「年頃の女性がすきそうなデザインの紙を探しているのですが」
「ワシがそんなモンわかると思うか?」
「俺よりは分かると思います」
「色男の兄ちゃん、それは皮肉か?」
「いいえ。思ったまでを言ったのです」
「……」

 店主の老人は、彼の眠たげなれど真っ直ぐな瞳に折れた。ルスランは恐ろしいほどに素直な男である。
 店主は何枚か紙を渡した。ついでに売れない、やけに高い紙も押し付けた。ルスランは文句をつけることなくそれらを買い、店を去った。

 ルスランはわざわざ紙を買うという行為をしたことなどなかった。買った紙も、どれも同じに見えてあまりよくわからない。
 この街に来てから、たくさんの新しい経験を得た。どれも新鮮で楽しい。
 だが、楽しいということを共有する昔馴染みがいないことは少し寂しく思う。
 材料は、あとリボンを買うだけだ。



 監獄の扉を開け、自らの部屋へ帰ってきた。テーブルの上においた聖典を退けてみる。押し花はこの具合でいいのか、全く判別がつかない。
 日はすでに少しばかり傾いている。しかし、小一時間くらい放置していても構わないだろう。
 聖典の新しいデザインの表紙は、すでに見慣れた。
「現代的すぎるのも、また乙なもんだろうよ」
 言いそうだ。しかし、その真偽などもう地上には存在しない。

 彼になにかプレゼントを贈ることはなかった。彼に報いようと、様々な行動を起こしたが、ものをあげることはなかった。
 彼から、古びた聖典をもらったことがある。ずっとそれを使っていた。ものは、形に残る記憶だ。思い出を突きつけてくる存在だ。
 だからすべて燃やした。これももう過去の話だ。



「これは花束です。バラ風呂にして、家族で楽しんでください」
「これは押し花です。飾ってください。いらなかったらフリーマーケットに出せま す」
「これは押し花のしおりです。これもいらなかったらフリーマーケットに出してください」
「あと、バラのジャムです。美味しいかと」

 皆々それぞれの反応だ。苦々しい顔もある。忌々しいという感情を隠し切れていない彼女に手渡されたプレゼントは、良くてフリーマーケット、悪くてゴミ箱行きというところだろう。
 バラのジャムがいちばん好評だった。多めに持ち帰る人も少々いた。
 ルスランはいつもの眠たげな顔のまま皆の様子を見ている。だが、少しだけ口元が綻んでいた。



 押し花の完成を待つ間、ルスランはバラを一本とり、庭へ出た。
 それを燃やした。
 煙は天へ登っていく。彼はきっと下にいるから、上へ捧げるのはお門違いだ。