第14話「夜遊び」

 ジウには死ぬと行き着く場所があった。
 土煉瓦の広々とした屋内。両横に並ぶ複数の椅子たち。そして、その向こうの玉座には、しなびた衣服を纏う干からびた死体が座っている。
 ジウは尋ねた。
「これで終わりか」

 枯れた死体は口を動かし何かを言った。意味のない音の羅列だ。予想通りの反応。今回も、自らは生き返るだろう。
 眼球が失われ、落ち窪んだ目がこちらを向いている。何かを見抜かれているようで居心地が悪い。踵を返した。
「やはり、役目は終わっていない」
 視界がフェードアウトしていく。あの痛みの夜へ、意識は再浮上するだろう。

     ◇

 深夜、第16地区、メルトライン方面。
 建物の多くがマルアハの起動により破壊されていた。それゆえ多くの住民が内側のエリアへ一時避難し、この夜を迎えている。

 ロビンは走り出した路地を曲がり、半壊した建物の内に入り込む。走り、その隣の建物の中へ侵入した。ヒガンの刃の狙いを少しでも撹乱しなければ。
「“掴め”!」黄金の手で穴のあいた天井から2階へ侵入する。そのまま助走をつけ、続けて隣家の2階に飛び込み、敷かれている赤紫の絨毯をブーツで踏みつけた。
 その足ですぐさまそばの崩落した天井の瓦礫を登り、一気に隣の廃ビルの3階へジャンプする。
 即座、背後に風切音。後に建物が崩れる音がする。彼女の刃が追ってきている。

 三本の刃を操りながら、ヒガンは暗い路地を走っている。
 流石に雑然とした路地を走り慣れているロビンに足で追いつくのは困難だ。その俊敏な動きを目で追うが、建物が邪魔で何度も見失いそうになる。黄色の後ろ姿だけでは味気ない。あの獣の目を見たい。

 右斜め方向、廃ビルの3階から4階建ての雑居ビルにロビンが飛び込んだのが見えた。そのままヒガンは路地を駆け抜ける。多少開けた路地に行き着いた。ひしゃげた街灯がチカチカと光っている。急遽ヒガンは足を止め、二本の刃を引っ込めた。そして残された一本の刃を。

「“見て”」

 雑居ビルに向かい、振り上げた。
 真っ二つ。多少四角形の面影を残していたビルに斬撃の対角線が現れ、地鳴りのような音とともに上部がずれていき、コンクリートの塊が落下した。
 舞った砂埃が視界を遮る。ヒガンが刃を振れば、甲高い風の音と共に視界が開けた。上部を失った建物を見やる。顕になった雑居ビルの屋内にロビンはいない。
 目を細める。いた。雑居ビルのその奧、ミルク色の外壁、住宅団地、屋外に据え付けられた階段に、黄色いジャケットが跳ねている。ロビンはこちらを振り向いた。獣の黄金目。脳に強烈な印象を刻印する、あの黄金目!

「こっちだ!」

 その声を確かにヒガンはキャッチした。ロビンはそのまま階段を上がっていく。再びヒガンの視界から小さな背中が遠ざかる。
「待って!」

 階段を上った先、団地の屋上へロビンは飛び乗った。夜風をかき分け走っていく。
 乱雑な路地で追っ手を巻くのはロビンにとって手慣れた仕事だ。ヒガンの身体能力も高いといえど、この環境で鬼ごっこを続ける限りロビンの優位は不動であろう。しかし、ロビンとてこのまま逃げ続けても勝機はない。
 ロビンの勝利条件は逃げ切ることではなく、ヒガンの暴走を止めることだ。

 思考の傍、右と左、より狭い路地が続きそうな左を選んでロビンは屋上から飛び降りる。そして団地の駐車場の先、蛍光ピンクの屋上看板を黄金の手で掴み飛び上がった。

 ヒガンは三本の刃を側に控え、近場の廃ビルの中へ入り込む。辛うじて残っている階段を登った。彼女がたどり着いた3階の天井は崩れており、夜の星々がこちらを伺っている。目を凝らす。黄金の手が見えた。
 赤目の瞳孔が開く。
「“見て”」

 ロビンがいるだろう群れる廃墟の奥の奥まで三の刃がぐんと伸び、斜めに刃を振り下げた。
 ビュウ、と高音、割いた風の() 。建物の上方だったものたちがが斬撃の方向へ飛ぶ。鈍い崩落の合唱。刃の嘶きは止まらない。
「“見て”」二撃目、それぞれ刃を振り上げる。「“見て”」横に、縦に、斜めに、直線はうねり次第に曲線へ。「“見て”」三本の軌道は縦横無尽に荒れ狂う。「“見て”」次第にスピードを増していく。切り刻まれていく瓦礫は自販機ほどの大きさに、その半分に、人の頭の大きさに、細切れになっていく。

「ロビンさん!返事をして!」

 赤い髪の向こうでヒガンは笑っている。

「私を見てるんでしょう?」

 ヒガンの声がバランスを崩し落ちていく瓦礫の合間に響く。
 そして最後の斬撃。風の音が轟き、細かな瓦礫が落下した。刃がしゅるりしゅるりと縮んでヒガンの傍に収まる。そして、静寂の幕が下される。

 見渡す。目の前にあった建物の群れは刻まれ瓦礫となって地面を覆っている。ウッドチップを撒いた庭のような有様だ。この下にロビンがいる? そんなはずはない。ヒガンは確信している。二体のマルアハを撃破した者が易々とやられるわけがない。

「もちろん」

 遠く、静寂を破る声があった。吐きそうなほどに胸が高鳴る。ロビンはどこに? ヒガンは目を凝らす。
 急遽生まれた廃墟の残骸広場の向こう、茶色のアパートメントの屋上、高架水槽の上に小さな、小さな人影が見える。小粒の獣耳のシルエット。それは屋上から飛び降りる。落下し地表と衝突するかと思いきや1階その寸前、現れた黄金の手が上階のバルコニーを掴む。そして、ロビンは軽々着地した。
「デタラメみたいなアビリティだな、ヒガン」

「逃げるのは終わりですか?」
 ヒガンは3階から近場の瓦礫に足をつけてからトン、と残骸広場へ降り立った。ロビンはヒガンへ歩を進める。
「ああ。逃げてちゃ話もできない」
 程々の距離を開けて立ち止まる。
 ヒガンの欲望は把握している。つまり、彼女は誰の手垢も付いていない宝箱を開けたいのだ。ただ、手段は人を殺めるに至るというだけで。

「楽しいか?」
「はい。とても楽しい。とても充実した気持ちです。ワクワクしています」
「おれの臓物がお宝か。大どろぼうがお宝になっちゃ世話ないぜ」
 ロビンは両手を上着のポケットに突っ込む。改めてヒガンを観察する。“色欲”のものだろう返り血のついたブラウスがコルセットの拘束を逃れ風に揺れている。赤く染まった髪はアビリティの影響か。

「私、あなた達が好きです」
「ああ。うれしいな」
 唐突の抱擁にも似た言葉にロビンは思ったままを返す。
「だから私、あなた達が憎いんです。離れてしまうのが嫌なんです」
 考える。ロビンの中で好きと憎いがうまく結びつかない。そういうものか。
「うん……ヒガンは寂しいのか?」
 夜風が熱を帯びた体を撫でる。垂れた前髪と夜闇がヒガンの顔を隠している。返答はない。明らかな肯定だとロビンは思う。

「それなら、切り裂かない方法もあるんじゃないのか? 例えば、前にヒガンが助けたマリアンいるだろ」
「はい」
「あいつ夜一人で寝れないからさあ、おれが手握ってんだ。いつも。だから、ヒガンも寂しくなったら、おれが手を握るよ」
 おどけた提案でもなければ、時間稼ぎの張りぼての言葉でもない。ロビンは考えた丸ごとをヒガンに差し出す。

 ヒガンは伏し目がちに、交渉を咀嚼している。
 小さく微笑む。ゆったりと、静止していた刃が身を捩り、切っ先を絡め合う。
「素敵な提案ですね。でも、物足りない」
「そっか。ま、おれだって死ねない。まだ盗り足りない」
 ロビンはポケットから手を出した。
 
「“見て”」
 先手を打ったのはヒガンだった。伸びた二つの刃が左右から襲いかかる。
「“掴め”!」
 開いた両手を前へ。即座大きく展開した左右の黄金の手が刃を掌で受け止めそのまま刃を掴む。拳のまま腕をバイクのハンドルを握るように開く。擬似的に大の字になったロビンの体が後方へ押される、なんとか踏ん張る。じり、とブーツと砂利の摩擦を足の裏から感じる。

 ヒガンのもう一つの刃はどうした。 顔を上げる。右側、もう一本の刃は、伸びて、伸びて、その先は地面に続いている。ではその先はどこへ?

 ロビンは黄金の手を消した。力を向けていた刃は勢い余りそのままロビンの横をすり抜け地面へ突き刺さる「“掴め”っ!」即座に右の黄金の手を再展開、近場の電柱を掴んでロビンは飛び上がる。

 靴先が離れわずか1センチほどの差だ。
 ロビンの足元であった場所から三本目の刃が飛び出し、後を追う。
「“掴め”!」勢いそのまま、雑居ビルの割れた窓に黄金の手を引っ掛けロビンは飛ぶ。少しでもスピードを緩めればその瞬間刃がロビンを貫くだろう。尖るガラス片を身を捩り避け建物の中へ入り込み、真っ直ぐ廊下を駆け抜ける。風音は止まない。まだ追ってきている。

 背後、ぎゃん、とコンクリートを切る音がした。

 きっとが刃がその身を上方へ振り上げたのだ。砂埃の匂い。もしや再度の滅多斬りか? ロビンは廊下の終わり、窓の向こうへ手を伸ばし、その身を外へ投げ出そうと――

 ヒガンは見ていた、遠く、悶え暴れる己の刃を。
 一度、二度、三度、すでに数えることが困難な速度。しなる刃が縦横無尽に舞い踊り、雑居ビルを瓦礫に変えていく。上から下へ満遍なく切り刻む。切り刻みながら四方八方へ瓦礫を飛ばす。どこにいる。大どろぼうはどこにいる。

 すると返答が返ってきた。
「そらあっっ!!」
 婦人のマルアハがやったようにロビンは投げ飛ばされた瓦礫をヒガンの方へ放り投げた。思わぬ反撃にヒガンは目を丸くする。手元に戻していた2本の刃で襲いかかる瓦礫を切り裂く。
 手を止めることなくロビンは手当たり次第に近場の瓦礫を投擲する。拾っては投げ拾っては投げ、それらの全てが切り刻まれる。ああ全く埒が明かない!
 こうしたところで場を濁すだけだ。流れを変える一手を探さなければならない。 大どろぼうよ思考を回せ。

 他に使えるカードは? ロビンはジウの倒れていた場所からあまり離れないように逃げていた。ジウは生き返り次第こちらに向かうだろうが助太刀は期待すべきでない。生き返るのにどれだけタイムロスがある?
 挑発し刃をひとまとめにさせ掴み動きを止めるか? いや、掴んだところで力の競り合いになるだけ。相手の体力が尽きるまで再び逃げるか。それでは鬼ごっこは夜明けまで続くだろう。

 違う、思考を変えろ。己は大どろぼうだ。逃げるだけではコソ泥同然。大どろぼうは宝を盗んでこその大どろぼうだ。

 何を“掴”めばこの獣の動きを止められる? 何を盗れば決定打になる?

 根こそぎ刃を盗る? 成功率は低い、他には。ああ、もっといい方法がある。

 魔力だ。魔力を盗ればいい。
 刃を奪うよりも確実。なればもう一度刃を掴む。息を吸い、吐く。楽なリズムを意識する。ロビンの体全体を、じわじわと倦怠感が蝕んでいる。

 ヒガンの額を汗が伝っていった。
 アビリティの操作に脳をフル稼働させていたためか、それとも奇妙な酩酊気分ゆえか、視界は揺れている。だが楽しい。心底楽しくて仕方がないのだ。海で水を掛け合い遊ぶことと、この瓦礫の投げ合いのどこが異なるのだろう。切り刻んだ瓦礫から飛び出した小さな破片がヒガンの頬を掠める。滲む赤色が愉しげなその顔を彩っている。

 ロビンが一際大きな瓦礫を放り投げた。しなる刃が一刀両断。二つに分かれた塊は、滑らかな断面の瓦礫の山々をゴロゴロと転がる。これを合図に投石が止む。ヒガンはロビンを窺う。夜闇の影で表情が窺えない。

「もう、打つ手はなしですか」
 一歩、二歩、なるべく真っ直ぐを意識して、ヒガンはロビンへ歩み寄る。
「いいや、思い出したんだ。おれの本業は逃げることじゃないってさ」
「どろぼうでしょう?」
「そうだ。大どろぼうは、お宝を盗るのが仕事だろ?」
 ロビンは両の掌をを前に出す。

「来なよ。一番デカいのを出しな」
「力比べなんて、私初めてです」
 ロビンの誘いにヒガンは乗る。刃をまとめる。心無しか刃が細い。これで全ての刃をまとめたはずなのに(・・・・・・・・・・・・・・・・・)それも些事だ。こんなに楽しそうな遊びを、ロビンとの唯一を、断ることなどできない。

「“見て”!」
「“掴め”!」

     ◇

「“忘れろ”」
 血の滴る手が、4本の小さな刃を握っている。
 足を引きずり前へ進む。それが己の役目だと思った。役目、役目。記憶なき己が身であれども、その言葉は骨のように肉の中へ埋まり、魂に絡みついている。