第6話「露になったもの」




 対マルアハ連合軍特殊作戦部隊は、指定の着陸地点を外れ、見晴らしの良い高台にいた。
 エンド・グラウンド、その最前線を一望できる展望台。予定通りの行動をしても仕方がない。
 作戦が根底から瓦解している。

「この子、一体ナニモンだ」

 特殊作戦部隊の兵士たちは、端末に写し出された画像データを覗き込んでいる。
 あの“黄色い手”――マルアハに一撃を喰らわせた、とんでもない魔術師は、カイィ族の小さな子どもであるらしい。

「全く理解できない。当局も知らないはずよ」
「マルアハの部位による攻撃だから、ダメージが通ったのでしょうか」
「見た具合だと針を魔術で変換してた。ま、にしても我々にゃできん芸当だ」

 顔の写されたデータを、既に情報局――グランダリア中央情報局に送り照会をかけたばかりだが、結果を1秒でも早く知りたかった。

 ナダイは目をすがめ、遠景を望む。
「…………」

 マルアハは人類の攻撃が通用しない。排除不可能の生命体。
 その前提が壊れたことは、敗戦続きの人間たちにすれば吉報この上ない。
 しかし、事実をこと難しくしているのは、光明を授けた英雄の正体だ。
 あの怪物に一撃を加えたのは、軍の如何なる者ではない。国の軍事力ではない、得体のしれないカイィ族の小童だ。
 立つ瀬がない。

『ナダイ、これは君が仕組んだことなのか?』
 インカムに通信が入る。
 一足先に、前線にいる対マルアハ連合軍南東部隊がロビンに関する一連の映像を、中央へ送っていたようだ。
 先のご老人にも、軽口を叩く余裕はない。

 ナダイは眉間に一段と深い皺を刻みながら、言った。
「……違う。我々は、全く関与していない」
 情報の少ない今、策を講じることはできない。

『ならば、事実の究明が最優先だ。君たちは大至急、情報収集に努めろ。そして報告を』
「了解」
『以上だ』
 ブツ、と音を立てて通信が終了する。

 今度のマルアハ侵攻について、暫く市民に向けた発表はされないだろう。
 絵物語のような現実は、国家の威信を大いに揺らがす。

「大佐、情報局から有線が」

 若手の隊員が呼びかけた。
 ナダイはインカムを操作し、チャンネルを変える。
『大佐殿、先の画像照会の結果をお伝えします』
「送れ」

『通称名ロビン、姓名なし。12歳の女性。指名手配犯ディエゴ・デ・アウローラの弟子とされている人物で、窃盗罪が多数』

 無線の音声は、皮肉にも感度が高く、途切れることなく聞こえる。
『通常の魔力鑑定では、値無し。ノーマーカーとなりますが、黄色い手を操る力があると記録されています。鑑定で値が出ない理由は不明』
「特記事項は以上か」
『あとは……大どろぼうを自称している、とだけメモが』
「了解」
 通信を切った。

「あいつ、ナニモンだったですか」
「ろくでなしの刑法犯だ」

 ナダイは押し黙った。あらゆる言葉が負け犬の遠吠えになりそうだった。
 気に食わない結果から逃げるように、次の行動を考える。これから、何をすれば最大の利益を得ることができるか。
 自分たちの持つ唯一の利点は――

「……南東部隊は市民の誘導と規制に専従させろ。最前線に近づけるな」
 命令に従い、隊員の一人が通信機を手に取った。

「事が済み次第、一番に接触する。そして、さらなる情報を獲得する」

「彼女がマルアハを倒したなら……“交渉”を」
 隊員の女は鋭い眼光で言う。
「やられちゃったなら、死体の回収ですねえ」
 男の隊員は頭を掻きながら言った。
「各計測機器を起動しろ。カメラもだ」
 あの力を解析する必要がある。

(叶うならば拘束だ。力を奪う)

 子どもは生き残るだろうか。無謀にも怪物に立ち向かった勇者。
 マルアハの能力は強大で、未知数だ。その全容が明らかになっている、とは考えられない。

 あの場で命を落としたなら、あれは一瞬の奇跡で片が付く。長らく続いた停滞に逆戻りだ。
 だが、もしもマルアハを討ち果たしてしまったなら?
 馬鹿らしいが、攻撃が入った以上、小数点以下であろうと可能性はある。絵空事であろうと、このルートも念頭に置く。

 確かに、願った通り滅茶苦茶になっているではないか。なんとも苛立たしいことに。今は自嘲する気にもなれない。
 そう、ナダイが思考を深めている最中だった。

 隊員の一人が呟いた。
「やべえ」
 その言葉の意味を、秒針がひとつ動いた次に皆知った。

 圧力。
 魔力が、マルアハの元へ集う。

 いや、無理くり、奪っている。大地から、大気から、そして、ヒトに内在するものも。
 総員膝を折る。立つことが敵わない。
 兵士たちすべてが、突如、体内の血を多量に失ったような状態異常に陥る。
「っこ、の距離で、取りやがる、か――!」
「っ否定式――」
 隊員二名で守りの術式を動かした。
 膝を付くナダイは、重くのし掛かる圧に抗い、どうにかマルアハを見上げた。

 頭上の輪が光っている。

 針鼠のマルアハは、あの青色の輪を使い、すべてを消し去る光を放とうとしている。

(生き残るはずがない)
 ナダイは確信した。

     ◇

 アス・ポルタが魔力を集めている。
 大地から、ヒトの身に溜められたものの内から、大気を漂う魔力まで。

 ヒガンとジウが動けるのはナナツミのおかげかもしれない。マルアハに対することを想定し、作られた果実。
 このプレッシャーを受けても、まだ、息苦しさだけで済んでいる。
 二人はマルアハのすぐ傍まで来ていた。その距離60m程度。

「あんたは、あの“光”を見たことあるか」
「昔、一回だけ」
 幼少の記憶だが、あの恐ろしさはよく覚えている。ヒガンは思い出す。

 テレビ越しではなく、この目でマルアハの蹂躙を見た。
 あの光の束が通ったところには文字通り「何も残らない」
 すべてを浄化するような、人知を超えた力だ。

 10歳の頃だった。家族と共に、エンド・グラウンドの一角に住んでいた。
(あのとき――)

「あれはすぐに撃てるもんじゃない。今のうちに抑えれば、問題ない」
 ヒガンは目を強く瞑り、過去を追い出す。
 路肩に車が停まった。ヒガンは荷台から降りた。ジウは車内の吸い殻入れに短くなった煙草を入れる。新しいものを取り出して火をつけた。
「間に合わなかったら、一帯は更地だ」

 ヒガンの視界に案内標識があった。来た道を戻ってゆけば、駅に辿り着くことが記されている。
 列車は、既に多くの人を残し出発していた。

 走る。
「ロビンさんももう向かってますよね」
「ああ」
 針で足場が崩れないように、ロビンはしばらく身を隠すと言った。しかし、マルアハはアス・ポルタを起動した。
 輪の起動中、マルアハは行動不能となる。針は飛んでこない。隠れる意味はなくなった。
「なら、あとは打ち合わせ通りですね。ジウさん――」
 マルアハの肌は、なめらかな白色の壁のようだった。30m程の距離。

「――気をつけて。ここまで来ちゃえば、ですけど」
「あんたも」
 
 ヒガンは立ち止まった。十分な射程距離だった。
 ジウは脇道に避け、そのまま直進する。振り返らない。

 ヒガンは両サイドの髪をかき分けて、こめかみに指を置いた。
 集中する。成功するイメージ。
「“見て”」
 四つの髪の束が合わさり、一つの刃になる。
 皮膚を裂く感触を思い浮かべる。

 彼女の刃には感覚がある。
 まるで、自分で触ったかのように、自分で切りつけたように、その触感は伝わる。
(ヒトと同じなのかな)
 柔らかい肌から、血液が噴き出すさま。

 あの白い皮の下には何があるのだろう? その外壁が人よりも遥かに硬く、防御に長けた装甲だったとしても。
 表情の揺らがない鉄面皮が、個人を識別しない、隔絶した超生物が。

 痛がってくれればいい、と思った。それは、他ならぬ自分を認識される行為だから。

「“見て”」

 蛇の斬撃がマルアハの腕を切り裂いた。

 ナナメから切りつけた一文字が、その腕の半分にまで達していた。
 青色の汁が、傷からあふれ出す。
 刃が宙を旋回する。

 濃厚な魔力の匂いはまるで濃い酒のようで、あたりを満たしていく。
 洞がある腕を、マルアハは持ち上げた。汁がばしゃばしゃと落ちる。
「ァア、アアア アアアアァアア」
 悲鳴を上げた。

 全くそれを無視して、ヒガンは歩みを進める。
「“見て”」
 右手を伸ばして、逃げようとする巨腕へ刃を放った。

 刃は、その身を伸長して、掌に潜り込んだ。
「ア゛ァァアアァ」
 バキ、バキと体内で、枝分かれしていく。
 赤色の蛇が、根を張っていく。
 マルアハは指を伸ばすことも許されない。操りの針金が掌を支配している。抗おうとすれば、痛みが脳天を突く。

「“見て”」
 主導権を得た刃は、マルアハの掌を地面に突き立てた。
 内部から現れた刃が地面に刺さる。針を通した昆虫標本のように、その手が固定された。
 マルアハは何度も手を持ち上げようとする。そのたびに体表には赤色の線が浮かび、体液が散る。鳴き声。
 
 ヒガンは、伸ばした右手の指の隙間、その先にいる人を呼ぶ。
「――ジウさん!」

「とんでもねえ力だな」
 ぼやきつつ、ジウは小走りでマルアハに近づく。さらに、さらに。
 怪物に叩き潰されかねない。さらに。
 もう一歩で、その白壁を抱きしめられるような距離だった。

 傷口に、手を突っ込んだ。

 濃厚な魔力の匂いを全身で浴び、右腕を青色の体液に浸す。
 表情は一切揺らぐことなく、黒曜石の瞳で体内を見据える。

「“忘れろ”」

 霧が漂う。
 そして、マルアハの叫び声が残響に消えた。

     ◇

 ロビンはホテルの階段を上っていた。回り階段を、2段飛ばしで上へ、上へと急ぐ。
 踊り場に窓がある。道中、途切れ途切れで、外の世界が見えた。

 マルアハは天を仰ぎ、動きを止めている。

(なんだ?)

 持ち上げた腕を下ろす。
 浮いた尻尾が地面に落ちる。マルアハはへたり込む。
 針の再生を表す煙が、風に飛ばされ、少しずつ消えていた。
 面を斜めに傾ける。
 
「ァァ ァ ァ」

 口から唾液を零すような声だった。

 アス・ポルタから、光が散っていた。集めた魔力を放っている。水中で溜めていた酸素を吐き出したように、それはあっけなくマルアハから離れる。
 目に宿っていた光が薄くなっていく。その様は、動力源を断たれたロボットに似ている。
 我を失った様子だった。

 あれはヒガンの力ではない。彼女の力は、あの赤色の刃だ。であれば。
「ジウか……!」

 足止めができるとは言っていた。だが、一体何をした?
 アビリティを呼び起こすスペルは“忘れろ”だったと思う。あの裁きの間で、イノセンスはジウを指差してそう言っていた。

(その通り“忘れ”させたのか? 記憶を消した?)

 マルアハが喚かないのは、“痛み”を忘れさせたから。
 針の再生や、アス・ポルタの「充電」が止まったのも、マルアハの記憶領域からそのやり方を消したから?

「とんでもねえ力だなっ」
 足止めは十分だった。ロビンは笑った。
 あとは、自分の仕事をすればいい。屋上の扉を目指す。

     ◇

 霧を吸うだけでも、記憶が掠れるらしい。
 ヒガンはハンカチで口元を覆い、距離を置いた場所で様子を見ている。

 彼は、長い思案の海に身を沈めたようだった。 
 その目は、ここではない世界に向けられている。

(なにを見ているんだろう)
 “忘れろ”――マルアハの記憶を開いて、中身を見て、必要なものを消しているのだろうか。

 ナナツミを得るのは、"大罪"と判断しうる巨大なエネルギー、その持ち主だという。
 彼のタイプは“怠惰”で、スペルは「忘れろ」
 これらは、ナナツミの持ち主と無関係な言葉ではない。ロビンだって、今日一日の印象だけでもまさに“強欲”だ。
 自分に与えられた名前と、その言葉を考えても、核心を突かれていると思う。
(あの人も何かしたんだ。私と同じように)

 同じ運命の坩堝に放り投げられた理由を知りたいと思っている。
 その黒い穴の中には獣が潜んでいるのだろうか? 思うだけに留める。
 過去だとか、人の内面だとか――それは迂闊に近づいてはいけない場所だと、分かっている。

 ヒガンは頭を振って、雑念でぼやけた視界をリセットした。
「“忘れ”」
 彼は、もう一度、その命令を口にするところだった。

 ジウは血を吐いた。

「ぐぶっ」

 ヒガンは目を見開いた。息を一度吸う、それだけの間だった。
 一本の針が、彼を貫いていた。
 それは、マルアハの青色の傷口から飛び出て、形成されている。

 続き、二本三本と、細い円錐が身を貫いた。
 血を吐く。腹から現れた白色の棘を、血液が彩った。

「え――」
 霧が晴れていく。

 ヒガンは針を斬った。
 体を支えていたものが細切れに落ち、ジウはそのまま地面に倒れ込んだ。
「ジウさん!!」
 針を両手で掴んで、体から抜き出した。
 胴に穴が開いている。
 彼は一度、息を吸おうとした。しかし、空気を溜める臓器は破れていたから、空しく音が響くだけで、胸は膨らまない。
 浅く口を開いて、天を仰いでいる。
 ぐったりとした体躯。その腕も、足も、成人男性の重みを落とすだけだった。

「ジ、ジウさん、ジウさんっ」

 呼びかけて、彼の体を揺らす。
 動かない。喋る言葉はない。
 そこにセンチメンタルな終わりのひと時はなく、ただ、事実だけが据え置かれている。

 衝動的に、ひと回り大きい彼の体を抱きかかえた。マネキン人形のようにされるがままだった。
 鉄の匂いが体の中に入ってくる。
 血がヒガンの白色のブラウスを侵食する。肌に触れる血液はやけにぬるいのに、空気に触れるうちに熱が消えていく。
 鼓動は聞こえない。

 黒曜石の瞳が、ヒガンの肩越しにぼんやりと空を見上げていた。
 その遥か向こうで、また、アス・ポルタが、放出した魔力を集めている。