第7話「乱暴にワルツを踊れ」
マルアハの喧騒も遠い中央、シティ・グランドのとある大学。
明かりを落とされた大教室で、大きなスクリーンが光っている。ただでさえ白いスクリーンに、白いものが映されているため、まばらに座っている生徒たちは眩しげに目を細めている。
白い髭を蓄えた講師がポインターを当てる。
「これの特徴は、他のマルアハより丸みを帯びている点です。魅力的なくびれを持っているので、婦人のマルアハと呼ばれています」
胴体のそばで浮遊している、4本の爪を携えた両手。頭部には錐状の刺が左右に一本ずつ生えており、そこからイヤリングじみた部位が垂れ下がっている。足は生えていないが、コマの軸のようなものが一本、体を支えている。
「彼女はハリネズミ型や、ウシ型とは違い、四足歩行をしません。足は一本。それを駒のように使い、回転することで移動します。その大きい図体や手を使い、建物を破壊するだけでなく、また、高速回転をすることで強風を巻き起こすこともあります」
「光線を回った状態で放つため、前回起動した際は、最も多い死者数を出しました」
「第16地区は、人口が少ない傾向にあります」
学生は欠伸をした。
「そもそも、7体のマルアハがそれぞれの個性を持つ要因は解明されていません。しかしながら、彼女達の外見は、大昔に我々人類の祖が作った土器に共通性が見られます。もしやすると、彼女達は私たちと深いつながりがあるかもしれない」
「体の全てを魔力で形成していることから、同じく、全てが魔力で形成されている魂の研究が、彼女達を知る一歩になるとされています」
机の上に腕を組み、顎を乗せている学生は暇そうに、ノートを書いている隣の友人へ話しかける。
「あの教授、詩人崩れかね。擬人法が多すぎる」「かもな」
◇
エンドグラウンド第16地区、メルトライン最前線。婦人はゆらゆらと回転をしている。
古めかしい車内、助手席の大どろぼうはすでにいない。
前回のように、マルアハへ直接触れた状態でジウのアビリティをたたき込むことは厳しかった。アビリティを発動しながら、なるべくマルアハへ近づき、動きを少しでも止めることが彼の役割だった。そして、ヒガンは下からマルアハを攻撃し足止めをする。
フロントガラス、街の風景の間に白い巨体は随分近くに迫っていた。
「そろそろか」
スピードを緩める。巨躯の生み出す影の元、外れるはずもない標準を合わせる。
「“忘れろ”」
◇
婦人は足元など気にも留めていなかった。ただただ、回る。回り、クッキーを潰すように街を破壊していく。そうこうしているうちに、頭上、青いリングには魔力が集まってきた。
突如、異常な魔力の流れを感知する。
方向は?……不明。自らの状態を検査、身体に異常なし。
誤差。
マルアハの動きが停止する。
思考回路のエラー……進むべき方向は?入力されたデータの消失。外部から吸収した魔力の用途不明。
どうして自らは起動し、侵攻しているのか。回転機能、回転?
自らの思考の地盤が崩れていく。唯一理解できるのは、致命的な欠陥がメモリに広がっていることだけだ。
婦人の足取りは酩酊する。休眠前の1分が永遠に続いているような中枢のぼやけ。体の動かし方すら、ぼんやりと大河の水底へ沈んでいく。
◇
大どろぼうは15階のビルの屋上でマルアハを見据えていた。
腕を上げ、肩を回す。大きく息を吸って吐いた。緊張故の動作ではない。昂る心臓が煩くて、酸素を欲していたからだ。
手を前へ突き出す。その指の隙間、婦人のマルアハは二日酔いの有り様で、華麗な回転を崩していく。
前回の射程距離を加味。舞台は今ここに整った。
「“掴め”ッ!!!」
現れた黄金の手はぐん、ぐんと大きく広がっていく。広がりきったそれは、ロビンの足元のビルをダンベル代わりにでもできそうなほどの大きさだ。
ロビンは身を後ろへ引く。少しふらつく。引いて、引いて、
「ッッイッっけええーーーーーーーーッッッッ!!!!!」
力の限りに押し出した。
黄金の手は建物群を通り抜け、通り抜け、標的の前へ現れた。
婦人のマルアハは目前に現れた大きな手、というよりもその大きな魔力を察知し、じりと後退する。距離を取り体勢を立て直さねば。
既に遅い。
黄金の手は大きく手を広げ、
「“掴”みやがれええーーーーーーッッ!!!」
光輪を、掴んだ。
高音。
マルアハは哭いた。絹を裂くような、いや、大空を裂く悲鳴だ。
耳は伏せども、かっ開いた黄金の目を閉じることはない。ロビンは手を握り締めていく。光輪は歪み、ギイギイと歪な音を放つ。
己の心臓を掴まれたようなショックに、マルアハは身をよじる。叫ぶ。憤り、気持ち悪さ、苦痛!とにかく、この「害虫」を遠くへ飛ばさなければならない。沈んだ奥底、痛みが回転を呼び覚ます。
体を大きく左右に揺らす。軸を中心に、ゆっくりと、回転の軌道をなぞっていく。
黄金の手がマルアハの輪と共に回転に巻き込まれる!まずい、引きずられる。足で踏ん張る。それでも、ロビンの赤いブーツはズ、ズ、と動いていく。
ロビンの黄金の手は、ロビンの動きと連動する。
手を前に出せば、黄金の手も前に出る。以前のマルアハの光線のように、黄金の手が大きな力に押されたとき、ロビンも後ろへ押されてしまう。ある程度の動きは連動している。
黄金の手に何かしらの力が働いた時、ロビンにもその力はある程度伝わるのだ。黄金の手とロビンの間に、透明なロープが繋がれているように。
では、黄金の手が回転に巻き込まれたなら?ロビンも回転に巻き込まれてしまうだろう。
マルアハは力の限り、身を回転軌道へ押し出した。「っ!!」グン、と手を引かれた。体が宙に浮く!
この力に抵抗は無意味。迫る屋上の出入り口に叩きつけられる前に、壁に足をかけ飛んだ。
ああ、もう大どろぼうの足元にも、腹の下にだって大地はない。それに意識を向ける暇もない。大どろぼうは高速の回転に巻き込まれてしまったのだから。
「うああああああッッ!!」
叫び声すら360°に撒き散る。視界は激流、体全体がミキサーの中だ。
だが、それごときでリングを手放す気が大どろぼうにあるか?
上手く掴みきれない!なぜだ。既に手の内だというのにもどかしい。欲しい!まだあれはマルアハのものだ。今すぐ、今すぐ今すぐ今すぐ、自分のものにしたい!
それでも、掴みきるには、揺れる脳みそでは力が及ばない。視界があやふやになっていく。
その黄金の手よりも先に、意識を手放した。
掴む手がかすかに緩んだが最後、瞬間ロビンは回転速度に応じた速度で、弾丸のように吹っ飛んだ。
◇
一方、マルアハの足元では囂々と強風が荒れ狂っていた。割れた窓ガラス、建物の砕けたものが飛び上がる。ジウの愛車の姿は見えない。二人は?
道路脇、ジウとヒガンは地面に身を伏せている。その薄着ではガラス片が刺さりかねんと危惧したのか、ジウの藍色の上着がヒガンにかぶさっている。
風が少しずつ収まっていく。
あの婦人は回り飽きたか?体を起こす。ドス、ドスと、宙の瓦礫達が重力に従い落ちていく。
回転は通常のものへ戻っていく。
二人は弱まった風の中、空を見上げた。白の巨体。大どろぼうはやったのか?くびれのその上、細い顔の上。
青いリングは、未だあった。ロビンはそこにいない。
絶望が声を押し出した。
「………ロビンさん」
「……これは、二人でやるしかなさそうだ」