私たちは海に行かなかった




 一年前のあの日は真夏で、湿度も高くとても暑かったのを覚えている。
 
 学校からの帰り道で、四車線の県道沿いは陽を避ける場所が少ない。私の暗色の髪を、容赦なく強い日差しが照りつける。
 今日に限ってタオルを忘れてしまった。定期試験があって、部活が休みになっているから持ってきていなかった。ハンカチを気休めに乗せようかな、とも思い始めていた。薄い青色のハンカチを頭に乗っけたら、漫画やアニメで描かれる、"河童"のお皿みたいになるだろう。
 河童を、翔なら見たことがあるかもしれない。私はあやかしとか、妖怪というものを見ることができないけど、双子の片割れであるかけるは、昔から見ることができたから。

「かけるは河童って見たことある?」
 私は聞いた。
「林間学校で一回見たけど。いきなりなんで?」
 かけるは笑った。

 私は自転車を引いて、車道側を歩いている。左隣でかけるが歩いている。高校一年生になって、かけるはやっぱり背が伸びた。私よりも5センチ大きい。私は薄い青色のハンカチを頭に乗せる。
「本当に頭にお皿を乗せてるの?」
「遠目で見ただけだけど、頭は白かったよ。それマネ? 全然似てねえ」
 かけるは背負っている黒色のリュックサックから緑色のタオルを取り出して、私に差し出した。
「いいの」
「オレ使わなかったから。そっちの"皿"貸してよ」
 私は薄い青色のハンカチを渡した。からかわれると、今更恥ずかしくなってくる。
 かけるは私の"お皿"で首元の汗を拭いた。妖怪に食べられかけて真っ白になった髪を、オレンジ色の夕陽が貫いている。

 私とかけるは別の高校に通っていた。ただ、今日は、ちょうど定期試験の日が重なったから、二人で帰ることにしたんだ。
 私たちは双子で16年、ともすればそのちょっと前からも一緒に生きているけれど、ほどほど仲が良いままここまで来れている。私の方がひと足先にこの世に現れたから、姉といえば姉になる。

 私たちはだらだら歩いて、何でもない話をしながら帰っている。
 夕方で車通りがあるし、自転車ががらがら言ってうるさいから、かけるは声が聞こえるように少しだけ声を張って話をしてくれる。
 かけるはクールな性格をしているけど、今日は珍しく浮かれている。定期試験が今日でやっと終わっただけじゃなくて、他にも理由はある。

「海、マジで楽しみだなあ」
「私も」

 明日、家族旅行で日帰りだけど海に行く。お父さんと、私とかけるの三人で、お母さんが残したオレンジ色の軽自動車に乗って。
 かけるなんか、昨日には準備を完全に済ませていた。水鉄砲やビーチボールといったものも、街の商業施設で買っていたし。
 私だって楽しみだった。荷物は今夜まとめるけど、スマホのスケジュールアプリに、私の中で特別な予定を意味する赤色の付箋を付けておいた。かき氷と海の絵文字も付けた。
 私たちの住んでいる街は山に囲まれた内陸部にある。海は、山を越えないと行けない特別な場所だ。

「行くの7年振りだっけ」
「そうそう。覚えてる? あのなんちゃら屋ってかき氷さあ、けっこう美味かったじゃん」
「さくらんぼ乗ってたやつ?」
「それ。あれ家で再現しても、全然味似なかったし。ずっと食べたかった」

 私たちは交差点で横断歩道を渡った。ペケポン、ペケポン、と横断できますよの音が鳴っている。私たちのそばを、結構なスピードで自転車の学生たちが通り過ぎて行く。

「そういえば私、かけるが泳ぐの見るの、久しぶりだ」
 というのも、かけるは9歳の時に海で溺れかけたからだ。“変なの”に足を引っ張られたらしい。それから、川とか海は、かけるにとって眺めるだけのものになった。
 だけど、今回は叔父さんから貰ったお守りがある。私たちの叔父さんは、胡散臭いけどその道では有名な祓い屋なのだと、かけるが言っていた。

 私にもあやかしが見えたらいいのに、と思う。そうすれば、"変なの"だって私がなんとかできるかもしれない。

「オレ、あんがい水泳得意なんだよ。見せる機会なかっただけで」
「じゃあ競争しよう。私も得意だから」
「なら、オレが勝ったら、焼きそば奢れよ」
「いいよ。私が勝ったらかき氷」
「あー、やっぱハンデほしいな」
「ダメ。手抜かないからね」

 私たち——少なくとも私は、当たり前のように明日の話をしていたし、想像通りと言わずとも、明日は、普段書きもしない日記をつけてしまうような日になるだろう、と思った。



 次の日、かけるはいなくなっていた。
 その日の朝に、お父さんは警察からの電話に出た。
 お父さんが私に教えてくれた。かけるが橋から落ちて、河川敷で、もう動かなくなっていたこと。

 私たちは海に行かなかった。